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大瀁郷の農地を守る~潟川排水路
本水路は上越市北東部の海岸砂丘から内陸に広がる低平な水田地帯に位置していて、区域は上越市頚城区、大潟区の水田の大部分と吉川区の一部にまたがっています。この地域はかつて「大瀁郷」(おおぶけごう)と呼ばれ、沼地が広がる低湿地帯でしたが、江戸時代初期に大掛かりな用水路と排水路の開削が行われ、大規模な新田開発が行われたところです。
しかしながら、崩れ易い土質と河口の排水能力不足で人々は湛水被害に悩まされてきました。こうした状況を大幅に改善したのが、昭和49年から着手された県営湛水防除事業とそれに続く県営かんがい排水事業および県営圃場整備事業であり、流域一帯の水田の乾田化と大区画化が図られ、県内でも有数の大規模経営の水田に生まれ変わっています。
しかしながら、崩れ易い土質と河口の排水能力不足で人々は湛水被害に悩まされてきました。こうした状況を大幅に改善したのが、昭和49年から着手された県営湛水防除事業とそれに続く県営かんがい排水事業および県営圃場整備事業であり、流域一帯の水田の乾田化と大区画化が図られ、県内でも有数の大規模経営の水田に生まれ変わっています。
また、基幹排水路の大部分は軽量鋼矢板の護岸で整備されてきましたが、整備後30年以上が経過し、軽量鋼矢板の護岸は急速に腐食が進み、矢板に空いた穴からの背面土の流出や、護岸の傾きが生じ、排水路機能を維持することが困難になりつつあります。このため、現施設の機能を維持しつつ、施設の長寿命化を図るために、平成21年度よりストックマネジメント事業が着手されています。
「潟川ほっと環会議」は平成18年に土地改良区や農家、一般住民を交えた車座集会がきっかけに集会に参加した生産者や主婦、自営業者らで結成されました。ほっと環会議は潟川について触れ合い、語り合う場として「川沿いや田んぼでの生き物調査や川下り」、「潟川開削と新田開発の歴史に関する学習会」、そして「潟川の未来について語り合う 潟川フォーラムの開催」などの活動を行ってきました。