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笹ヶ峰ダムを知る!
笹ヶ峰ダムを知る!
笹ヶ峰ダムをもっと知っていただくために、笹ヶ峰ダムの役割や歴史,建設当時の写真,旧ダムとの比較がご覧いただけます。
笹ヶ峰ダムの役割
笹ヶ峰ダムは新潟県南西部頸城平野を貫流して日本海に注ぐ一級河川関川上流に位置し、野尻湖とともに頸城平野に広がる約7,000ヘクタールの水田に安定した利水の水源として、本地域の農業生産性向上と、農業経営の安定化のため管理・運用されていいます。
笹ヶ峰ダムの歴史
高田平野の農業用水は現在ではその大部分を関川に依存していますが、上江、中江等の用水路などができる以前は、小河川や湧水、雨水(天水田)に頼っていました。
一滴の水もほしい農民たちが自らの生産を確保するため、今から約400年前の天正年間(1573~92)に関川を堰き止め取水し、それを導く用水路を自力で開削しました。その後この用水路は3期にわたり開削・堀継ぎがなされました。この用水路が『上江用水』の原形であり、その後も幾多の堀継ぎが行われてきました。
その後、江戸時代の延宝年間(1644~48)に至り、時の高田城主松平越後守光長の家臣である主席家老小栗美作は、荒涼とした原野を開墾すべくその用水源を求めて関川上流の苗名滝と、当時は高田藩に属していた現在の長野県上水内郡信濃町に位置する野尻湖を視察し、藩営事業として平野上流部で関川の水を取り入れ、高田平野を潤す『中江用水』を開削しました。 この2大幹線用水によって導かれた水は荒涼とした原野を潤し、その後水田の開墾が進み、現在の頸城平野の水田地帯の原形を形づくりました。
しかし、開田が進むと用水が不足し、各地で水争いが発生するようになりました。
また、近年関川は夏期干天時には水量が漸減するという傾向にあり、下流耕地では取水が極めて困難になり、干ばつ被害が度々起こるようになりました。
このため、新規水源施設として当笹ヶ峰ダムが幾多の困難をこえ築造されました。
また、この他に笹ヶ峰ダムは東北電力(株)の水力発電の水源として、年間を通して活用されています。
ダム比較
・満水になった水を200リットルのドラム缶に入れ縦に並べると、北海道から九州を8往復分に相当します。
・旧ダムの高さ22.7m⇒新ダム2.1倍(48.6m)
・旧ダム堤長58.936m⇒新ダム5.4倍(317.6m)
・旧ダム貯水量90万m3⇒新ダム10.2倍(920万m3)
・旧ダム満水面積0.2k平方メートル⇒新ダム4.5倍(0.9k平方メートル)
笹ヶ峰ダム諸元
項目 | 項目 | ||
---|---|---|---|
河川名 | 関川水系関川 | 堤体積 | 568,000m3 |
位置 | 新潟県妙高市杉野沢字宇棚 | 計画取水量 | 11.821m3/sec |
構造 | 中心コア式ロックフィルダム | 計画洪水量 | 980m3/sec |
堤高 | 48.6m | 総事業費 | 95億円 |
堤長 | 317.6m | 満水位 | 1,220.30m |
有効貯水量 | 9,200,000m3 | 総貯水量 | 10,600,000m3 |
供用開始日 | 昭和59年4月1日 | その他 |
鋼製ラジアルゲート 3門 表面取水ゲート 1門 取水口ゲート 4門 |
ダム建設の説明と写真
標高1,200mの厳しい気象条件に加え、ダムサイト及びその周辺の地質が泥岩、砂岩のいわゆる「軟岩地質」に属し、適切な築堤材料の入手に困難を極めたことと、さらに上信越国立公園特別地域及び国有林野でかつ保安林ということも築堤材料入手困難を限られたものとし、工事の進捗には大変な苦労を強いられました。
また、標高1,200mの気象条件は11月から4月いっぱいの6ヶ月間は雪のため全く現場作業を行えず、まして、含水比管理が最重要課題となるフィルダム工事にあってはこれらの条件が工程管理上の大きな問題でした。