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【村上】鮭の季節がやってきました
鮭のまちを築いた青砥武平治
村上ではおなじみの光景
今年も村上に鮭の季節がやってきました!三面川では鮭漁が始まり、12月頃には軒先に塩引き鮭が並んだ光景が見られます。村上が鮭のまちとなったのは、江戸時代中期の村上藩士「青砥 武平治(あおとぶへいじ)」の功績が大きいといえます。
鮭は村上藩の重要な収入源でしたが、18世紀の中頃には、三面川で獲れる鮭が年々減少し困窮していました。このとき、藩の事業として鮭の保護増殖を提案したのが武平治でした。武平治は、三面川に鮭の産卵に適した分流を設け、そこで稚魚を育てて春に本流に返す方法を考えました。村上藩は、その考えを基に30年以上にわたる河川工事を行い、「種川」を完成させました。これが有名な「種川の制」です。これにより鮭の漁獲量も回復し、藩財政は潤ったといいます。産まれた川に戻ってくる鮭の習性を利用した種川の制は、水産史上に残る画期的な保護養殖システムで、武平治は鮭の母川回帰性を世界で初めて発見した人物と評されています。なお、来年(2013年)は武平治の生誕300年にあたります。
青砥武平治の像 今も種川を見守っています
現在の種川
鮭漁のいろいろ
居繰り網漁の様子
村上には、三面川を中心に、伝統的な鮭の漁法が伝わっています。漁法は、遡上中の鮭を獲る方法と産卵場の鮭を獲る方法に大別されます。
居繰り網漁
居繰り網漁は三面川の伝統漁法で、川舟3艘で行います。2艘で網を張り、残りの1艘が鮭を網に追い込むのが基本です。網を張る舟には2人一組で乗り込み、上流側の漁師が2艘で協力して舟の間に網を張ります。舟の舵は下流側の漁師が操り、2艘の舟はハの字を描いて川を下って行きます。2艘の下流側にいる3艘目の川舟は、竹竿で水面を叩いて鮭を網へと追い込みます。鮭が網に掛かると、網を持つ二人の漁師が呼吸を合わせて鮭を舟の中へ豪快に引き揚げます。居繰り網漁は村上の風物詩として親しまれ、多くの観光客が見学に訪れます。
テンカラ漁
三面川の伝統漁法で、川を遡上する鮭を「テンカラ」と呼ばれる針で引っかける漁です。テンカラは3本の鈎を錨のように組み合わせたもので、釣り針とは思えない大きさです。
後ろの木々も仕掛けのひとつです
コド漁
村上市の山北地区を流れる大川にも、晩秋から初冬にかけて鮭が遡上します。「コド」とは、川底に杭を打ち、その杭に木の皮や柳などをつけた箱型の装置のこと。この中に入ってきた鮭を捕まえるのがコド漁です。全国的にも珍しい漁法で、最盛期には大川の河口付近はコドで埋め尽くされます。
刺し網漁
今も荒川で行われている漁法で、鮭が通過する場所を遮るように網を張り、その網目に鮭の頭を入り込ませて捕まえる漁です。昔はハタマムシという植物の繊維から糸を作って、網を作ったそうです。
鮭の魂も供養します
昨年の鮭魂祭
村上には独特の鮭文化が根付いています。特に鮭料理については、鮭の頭から内臓、骨、エラに至るまであらゆる部分の料理があり、その種類はなんと百種類以上とも言われています。鮭を余すことなく味わうのは、鮭を大切にする村上文化の象徴です。
毎年11月11日の「鮭の日」には、村上の歴史・文化・食を支えてきた鮭に感謝と敬意を込めて、鮭の魂を供養する「鮭魂祭(けいこんさい)」が行われています。
11月11日が鮭の日となっているのは、「鮭」という漢字が、魚ヘンに十一十一と書くためです。豆知識として覚えておいてくださいね。
関連情報
- 【日本初の鮭の博物館】イヨボヤ会館ホームページ<外部リンク>
- 越後村上鮭ものがたり(村上市観光協会ホームページ)<外部リンク>