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【長岡】越後長岡百景の「44 八幡林遺跡(和島)」を紹介します
「越後長岡百景」とは、長岡圏域にある様々な「風景」と、そこに秘められた「人々の想い」を集めたものです。
その百景のひとつに選ばれた「44 八幡林遺跡(和島)」について紹介します。
「想い」のタイトル
越後古代史上最大の発見!出土木簡が「渟足柵(ぬたりのき)」の実在を証明!
公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)
平成2年11月20日、八幡林(はちまんばやし)遺跡の発掘現場で長さ9センチほどの薄板が出土。付着した泥の下に文字のようなものが。「これはただの木片ではない」と慎重に洗浄すると「沼垂城」「養老」という文字が次々に浮かび、事の重大さに鳥肌が立つと同時に、味わったことがない感動で目頭が熱くなりました。越後古代史最大の謎「渟足柵」の実在が、一片の板切れによって証明されたのです。あれから14年、あの感動はあせることなく、昨日の出来事のように思い出されます。
(中之島町在住 40代 男性)
※ 内容は平成16年の応募当時のものです。
百景の想いや場所にまつわる短歌(越後長岡百歌)
養老の木簡出でし丘のすそ雪割草のほのと咲き出づ
出土せる八幡林の木簡に「渟足柵」とふ文字うすく見ゆ
※ 内容は平成17年の応募当時のものです。
関連情報
古代のロマン「八幡林遺跡」
平成2年、国道116号バイパスの整備に伴う発掘調査で、「沼垂城」、「養老」、「郡司府」と書かれた木簡が出土しました。647年(大化3年)に時の中央政権の蝦夷(えぞ)政策の最前線基地としてつくられた日本最古の城柵「渟足柵」(ぬたりのき)は、その存在を示す証拠は日本書紀の記述だけとされていたため、この木簡の発見は大きなインパクトを与えるものでした。渟足柵が新潟市付近に存在していたこと、そして、和島村にあったとみられる古志郡役所(郡衙=ぐんが)からは、頚城地方の越後国府を結ぶ交流ルートがあったことなどが明らかとなるなど、日本中の歴史ファンを魅了しました。これに伴い当時の建設省はバイパスの工法を変更、遺跡は保存されました。
越後長岡百景位置図
八幡林遺跡(和島)周辺地図(地図内の赤字番号は、百景の番号)
越後長岡百景位置図(全体地図)[PDFファイル/724KB]
大切な思い出の場所、ありますか?-目をつぶれば、心に浮かぶワンシーン「越後長岡百景」
越後長岡百景は、地域の人々に、その地域の自然や文化、歴史、伝統といったものを題材に、景色・シーンを応募頂き、これにあわせて、「そのシーンに対するタイトルとそこに含まれる想いや情景」、「シーンにまつわる短歌」もお寄せ頂き、それを発信していくことで、地元地域への誇りや愛着心を持って頂くことを目的に、平成15年度から平成17年度に実施した事業です。
このページ中の「「想い」のタイトル」欄、「公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)」欄、「百景の想いや場所にまつわる短歌(越後長岡百歌)」欄は、応募下さった方の「この景色・シーンに込められた想い」を、応募頂いた当時の内容そのままでご紹介しています。
少しずつ変わっていくふるさとのまちなみ。時の流れとともに、見ることのできなくなる百景のシーンもあるかもしれませんが、この場所やこのワンシーンに込められた人々の想いに、心を寄せてみてください。
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