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21 獄門跡
概要・良寛とのゆかり
佐渡の金銀を運ぶ重要な港だった出雲崎には、牢屋と極刑執行所も設けられた。江戸幕府直轄の出雲崎代官所が、文化5年(1808)に稲荷町から移転した時、一緒に罪人の処刑場もここへ移された。その処刑場跡が獄門跡として残っている。
榎の老木が当時を偲ばせる。
獄門跡の脇を流れる小川は、そこで斬首した犯罪人の首を洗ったことから洗い川と呼ばれた。
供養塔は天明年間に建てられた。
良寛の名主見習役の時に処刑に立ち会ったことが、良寛の出家の動機になったとの説がある。