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57 新木家跡
概要・良寛とのゆかり
与板の割元庄屋・新木家は、良寛の父・以南の実家である。新木家は厩橋城の長尾信綱が直江家娘お船との婚儀の際、
付き従ってきた一族と伝えられる。新木家は元禄8年(1695)土地を購入して庄屋となった。以後、明治期までの150年間にわたり割元庄屋を務めた。
良寛の父以南は、新木家の9代当主与五右衛門の次男として生まれた。長男は11代当主勝富、妹ミナは扇屋本家中川弥五兵衛に嫁ぐ。
異父妹スセは蓮正寺9代住職真教に嫁ぐが38歳の若さで早死し、後妻に母の末妹とみが真教に嫁いだ。
以南は宝暦5年(1755)出雲崎の橘屋山本家に婿入りし、宝暦9年(1759)名主役を継いだ。妻は山本秀子。子宝に恵まれ、成人した兄弟は7人であった。長男は栄蔵(のちの良寛)。
十五夜大祭の屋台を奉納している。(造り酒屋扇屋)
新木家跡には以南の詠んだ句碑がある。
全景写真
詩歌碑・像
以南句碑(朝霧に)
句の脇に「割元新木家跡 橘以南誕生之地」と津田清楓の書も彫られている。
山本以南:本名は新木泰雄。1736~1795、江戸時代中期~後期の俳人。近青庵北溟(きんせいあんほくめい)の門流に属した。
北溟は出雲崎の生まれ、美濃派の俳人である。のちに以南は名古屋の俳人加藤暁台に師事。