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58 徳昌寺
概要・良寛とのゆかり
曹洞宗徳昌寺の創建は古く、文明11年(1479)に直江を開基、開山として与板に建立された。第4世の頃に上杉謙信より本堂を寄付される。
直江家の菩提寺となったことで寺勢を誇るが、直江家の米沢移封に伴い一時衰退した。しかし、その後、牧野家、井伊家の庇護により興隆を誇った。
文政11年(1828)には有栖川宮家の祈願所ともなり、菊の御紋を賜る。天保7年(1836)の大火で焼失し、
現在の本堂は大豪商大坂屋三輪家の寄進や尽力により再建されたものである。
良寛の父の生家新木家の菩提寺でもある同寺には良寛も数多く訪れており、第26世萬象古範和尚とは師弟の契りを結び、
和尚発願の明版大蔵経の購入の際には不足金を島崎の能登屋木村家より借入たが募金は集まらず苦心し、
のちに良寛の進言により債務を免責として同寺に残った。本堂脇に経堂が建立されている。
第27世活眼大機和尚とは法友として互いが先に逝った者の導師を務めると約束し、和尚は良寛没後の葬儀の導師を務めた。
徳昌寺には良寛と交友があった三輪左一や維馨尼の墓もある。
全景写真
詩歌碑・像
維馨尼・三輪左一の墓
徳昌寺の三輪家の墓地に良寛と親しかった維馨尼と三輪左一の墓がある。
良寛詩碑(香積山中有仏事)
文政11年(1828)良寛71歳の時、三条地震があり、与板も大きな被害を受けた。
翌春、8代藩主直経は犠牲となった御霊の大法要を行い、それを聞いた良寛は長詩『香積山中有仏事』に託して心境を吐露している。
このときの詩は良寛と親交のあった大機和尚の百年忌(昭和27年)にあたり、本堂前に碑として建てられた。