本文
80 隆泉寺・良寛墓碑
概要・良寛とのゆかり
浄土真宗の寺で木村家の菩提寺。410年前に小さなお堂であったが、戊辰戦争で焼け、大正3年に再建された。
この隆泉寺と木村家の因縁は古く、同じ石川県から来たとされる。
木村家の墓地に良寛と弟由之の墓が並ぶ。毎年6月6日には墓前法要が営まれる。また境内には大蔵経碑と良寛像がある。
全景写真
詩歌碑・像
良寛墓(右)由之墓(左)
良寛の墓は、良寛の三回忌に木村家の願いで立てられた。(天保4年1833、3月)。墓石は安山岩で火山岩の一種である。
2分して高さは125cm、幅105cm、半分は台座となる。台座は亀に似ていて、亀の上に立っているようにもみえる。
建碑者は、山田太郎兵、富取武左衛門、原田正貞等で、正面中央に「良寛禅師墓」とあり、筆者は由之の孫の山本泰世。
墓の右側は鈴木文台によって選ばれた僧伽の五言古詩が、左側は由之の選んだ旋頭歌が刻されている。
良寛の墓の左に、良寛より4歳年少の弟由之の墓がある。由之は良寛の出家後25歳で山本家を継いだが、敦賀屋との争いに破れ、ついには家財没収、所払いとなってしまう。晩年は与板で過ごした。
兄良寛を看取ってより3年目の天保5年死去。由之宗匠墓碑は天保7年頃建碑、筆者橘泰世。
木村家墓
墓碑は良寛の自筆であり、南無阿弥陀仏となっているが、拓本で汚れないようにするためと風化を防ぐために囲われている。
托鉢良寛像
昭和38年、良寛禅師銅像建立奉賛会の建立。
この像は遍澄が描いた絵を基に制作されたものである。
制作者は地元、二紀会の滝川美一。
大蔵経碑:碑は明治40年建碑
蔵は、戊辰戦争の戦火を免れた。大蔵経は京都より購入したもので、275帙(6,711巻)を16ヶの荷物にして馬5頭で運んできた。代金で150両。
木村家の10代と11代当主が2代に渡って一切経を集めた。
これに感激した良寛が謂れ書きをかかれた。(良寛筆)
経堂 隆泉寺入口の門の碑
相馬御風の筆。
良寛墓碑に刻された詩歌
関係機関リンク先
- 隆泉寺(長岡市のホームページへリンクします)<外部リンク>
- 観る(和島観光協会のホームページへリンクします)<外部リンク>