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番外編「民話研究に生涯ささげた水澤謙一」
3月30日(木曜日)放送
三木 ゆかり 記者
放送内容
(佐野局長)=FMながおか 放送局長 佐野 護さん
(三木記者)=新潟日報社 長岡支社 報道部 記者 三木 ゆかりさん
今日は、新潟県・新潟日報・FMながおかコラボ企画「地域の魅力発信します!」をお送りします。 |
(佐野局長) 本日は1月28日の新潟日報朝刊に掲載された「民話の里 訪ねて」の番外編記事について、新潟日報長岡支社の記者 三木ゆかりさんに、民話の採集、研究に尽力した水澤謙一さんについての話をお伺いいたします。三木さんどうぞ宜しくお願い致します。
(三木記者) よろしくお願い致します。
(佐野局長) 今回は番外編のお話ということでございますが、水澤謙一さん、民話研究者の第一人者として知られてる方ですよね。
(三木記者) そうですね。失われつつあった昔話を、県内各地をめぐって聞き取り、後世に残した方です。昔話を民族学のアプローチで研究したことでも高く評価されています。
(佐野局長) 研究や採集だけでなく民話を後世に伝えた方でもあると、形にした方っていうことなんですよね。水澤さんが昔話を集めるきっかけっていうのは一体何だったんでしょうか。
(三木記者) はい。水澤さんが民話を集めるきっかけとなったのは、1949年に富曽亀村で、小学校の校長先生を務めていたんですけれども、その時に、村史の編さんを依頼されたことに始まるそうです。ただ、村の歴史的な資料の多くが戊辰戦争で消失していました。そんな時に、水澤さんは民俗学者の柳田国男の著書を読んで、ある言葉に出会ったそうです。その言葉というのが、「伝承によって知られざる村の昔を知る」という言葉です。水澤さんは、まさにこれを実行したそうです。
(佐野局長) この柳田国男さんの言葉のおかげでね、水澤さんは、各村の伝承を集め始めたということになるわけですね。
(三木記者) はい。村の古老を訪ね歩いて話を聞きまして、「富曽亀民誌」を1955年に完成させました。その民俗誌の中では、地域に伝わる昔話を60話ほど収録しています。その完成させた村史を柳田さんに送ったところ絶賛されたそうです。
(佐野局長) これは水澤さんも喜んだんじゃないでしょうかね。
(三木記者) はい。大変感激されたそうで、これを機に水澤さんは、昔話の世界に飛び込むことになったと著書で回想されていました。その後も、長岡にとどまらず上中下越を訪ね歩き「越後は昔話の宝庫」だと知ったと言います。
(佐野局長) 昔話のために、越後を訪ね歩いた。これはすごいことですね。
(三木記者) はい、そうですね。訪ね歩いた中で、1人で100話以上も昔話を語ることができる「カタリバサ」と呼ばれる語り手を20人ぐらい探し当てたりもしたそうです。昔話をただ聞き取るだけではなく、語り手さんとの心の触れ合いも大事にしたそうです。水澤さんは語り手が語りやすい雰囲気を作って、気持ちよく話してもらうのが自分の役目だと話していたそうです。
(佐野局長) 語り手の方との心の交流っていうのも非常に大切になりますよね。やっぱそういうところに力を注いでいたんですね。
(三木記者) はい。同じ語り手の方を何度も何度も訪ねたそうです。その方が忘れかけている民話も思い出してもらえるように、地道に聞き取ったそうです。
(佐野局長) 現在、水澤さんが残した昔話は誰かに引き継がれているんでしょうか。
(三木記者) はい。伝承活動に取り組む人々に引き継がれています。長岡の市民の方々で作っている「長岡民話の会」でも、会の催しで水澤さんの昔話をよく語るそうです。会長の青柳さんにお話を聞いたんですけれども、「昔話を耳で聞いて覚えた語り部は、もうほとんど亡くなられている。これからの語りでは、本や音源によって、民話を勉強するしかない」というふうに話されていました。
(佐野局長) 水澤さんが集めた民話を、何とか後世に語り継ぐ取り組みをしていらっしゃるということですね。取材を通して感じたことを最後にラジオをお聞きの皆さまに一言お願いします。
(三木記者) 水澤謙一さんが採集した昔話は2004年にCD化されたそうなんですけれども、1144話を百巻に収録したということで、かなり膨大な量ですね。語り手の方のぬくもりある声ですとか、方言の味わいがすごく良く感じられて、昔話って本当にいいなと思うきっかけとなりました。まだ聞いたことがない方はぜひCDを聞いてみて欲しいなと思います。
(佐野局長) 民話研究に生涯をささげた水澤謙一さんについて知りたいという方、是非1月28日の新潟日報朝刊「民話の里 訪ねて」の記事をご覧ください。三木さんどうもありがとうございました。
(三木記者) ありがとうございました。