本文
白狗(しろいぬ)の碑「殿様の愛犬が忠義の死」
2月9日(木曜日)放送
三木 ゆかり 記者
放送内容
(佐野局長)=FMながおか 放送局長 佐野 護さん
(三木記者)=新潟日報社 長岡支社 報道部 記者 三木 ゆかりさん
今日は、新潟県・新潟日報・FMながおかコラボ企画「地域の魅力発信します!」をお送りします。 |
(佐野局長) 本日は1月11日の新潟日報朝刊に掲載された「民話の里 訪ねて」の記事を書かれた、新潟日報長岡支社の記者 三木ゆかりさんに、長岡藩三代藩主「牧野忠辰(ただとき)公の愛犬シロ」の話をお伺いいたします。三木さんどうぞ宜しくお願い致します。
(三木記者) よろしくお願いします。
(佐野局長) 長岡藩のお殿様の愛犬シロにゆかりのある場所を、実際訪ねたり語り継ぐ方を取材して記事にされたということなんですね。どんな取材だったんですか。
(三木記者) 悠久山公園の駐車場の近くに、こんもりとした塚があるんですけれども、そこに「白狗之碑」と刻まれた高さ1メートルほどの石碑が立っています。これが愛犬シロが奉られている場所です。主人の忠辰公に迷惑をかけたことを悔いて死んでいったという忠犬の物語を、今に伝える史跡となっています。
(佐野局長) 第三代藩主の時代ってどれくらいになりましょうかね。
(三木記者) はい、大体ですけれども西暦1700年くらいでしょうか。
(佐野局長) もう300年も昔の話でございます。実際どなたか語り継いでいる方はいらっしゃったんでしょうか。
(三木記者) はい、牧野家の十七代当主の牧野忠昌さんにお話しをお伺いしました。牧野さんは、「塚や石碑が残って、多くの人たちに語り継がれて、きっとシロも喜んでいるでしょう」と言いながら石碑をいとおしそうになでていたのが印象的でした。
(佐野局長) 実際に、1月11日のこの記事を見るとですね、牧野忠昌さんが写っておりまして、まさに石碑をなでていらっしゃいます。牧野忠昌さんでいらっしゃるんで、まぁ長岡藩のゆかりの物語は詳しく知っていらっしゃるんでしょうねぇ。
(三木記者) はい、そうなんです。シロはですね、忠辰公によく懐いていて、参勤交代にも付いて行ったそうです。そんなシロですが、ある時、通りかかった徳川御三家の尾張藩の犬に嚙みついてしまいました。シロは忠辰公から「尾張の殿様が怒ったら、シロお前だけでなく、長岡も困ったことになる」と、きつく叱られてしまい、江戸を去ってしまいました。牧野さんは、「忠辰公とシロが心通い合う関係だったからこそ、シロは大変なことをしてしまったと理解したんでしょう」と語ってくださいました。
(佐野局長) 徳川御三家の愛犬に噛みついてしまったと、その当時は大問題だったんでしょうね。で、江戸を去ったシロはどこに行ってしまったんでしょうか。
(三木記者) はい、シロは雪の降る三国峠を越えて長岡に帰っていったと伝わっています。参勤交代で藩主と一緒に行き来したので道を知っていたんでしょうね。
長岡に帰ったシロは、元の飼い主である善兵衛の家に行ったのですが、「殿様の許しが無い限り、家(うち)には入れられない」と言われてしまい、追い返されてしまいました。
(佐野局長) まさに武士の社会、犬にも厳格ということなんですね。
(三木記者) ただ、その後に、忠辰公は家来の人に「シロが長岡に戻っていたら、いたわるように」と言ってくださいました。それを家来の人から伝え聞いた善兵衛は、急いでシロを探しに行ったのですが、すでにシロは雪に埋もれて息途絶えていたそうです。
(佐野局長) 白い雪の中でシロは亡くなっていたと。まぁ、常に悲しい物語ですよねぇ。
(三木記者) この話は牧野家で代々受け継がれているそうです。そのため、牧野家では代々、犬は飼っていないということを教えてくださいました。
(佐野局長)実際に取材をされてどうですか。ラジオをお聞きの皆さんに、またメッセージを頂きたいと思うんですけれども。
(三木記者) はい、牧野忠昌さんが言ってくださったように、シロと主人である忠辰公の信頼関係も感じられるエピソードが入っています。本にもなっていますので、是非まだこの物語を読んだことない方は、一度読んでみて頂けたらなと思います。
(佐野局長) 牧野の殿様の愛犬シロの物語を知りたいという方は、1月11日の新潟日報朝刊「民話の里 訪ねて」の記事をご覧ください。三木さんありがとうございました。
(三木記者) ありがとうございました。
(佐野局長) 次回の放送は、2月16日木曜日です。田掻き観音「病の民に代わり田植え」の記事を書かれた新井田悠(にいだゆう)さんが登場します。 |