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昭和40年代の開拓によって生まれ変わった池ヶ原地区
池ヶ原は信濃川左岸側の段丘に広がる農地のほか雪峠周辺地域を管理しています。
土地改良区は、
- 農業生産を行う上で欠かせない用排水施設の整備・管理や農地の整備を目的として設立された農家の組織です。
- 国土の保全や美しい農村景観など多面的機能を持つ大切な資源である農地や農業用水を次世代に引き継ぐ役割を担っている組織です。
池ヶ原土地改良区の概要を紹介します。
池ヶ原土地改良区は、十日町市(旧川西町)から小千谷市に向かう信濃川左岸地域の真人地区、上坪野地区、池ヶ原地区の農業用施設を維持管理する土地改良区です。
現在地区面積は、218ヘクタール、組合員293名で、揚水機場2箇所、ため池5箇所、用排水路L=28.7km、農道26.1kmを維持管理しています。その運営費は、各地区の組合員から均等に共通経費として集められますが、水利費(電気代、運転経費等)等の維持管理費については、地区毎に地形条件が大きく異なることから、別々に経費が集められています。
現在、池ヶ原地区では、ポンプの運転員3名と地区の水を配水する水番係員4名が交代で「大切な水」を管理しています。
池ヶ原土地改良区の区域図
池ヶ原土地改良区の始まり
土地改良区の設立は、信濃川の河岸段丘上に位置する池ヶ原の約70ヘクタールの耕地を開田したいという人々の思いから始まりました。
昭和43年7月、信濃川から約140m高いこの地域は、水がなく、桑畑や雑木林が一面に広がっていましたが、「安定した農業所得向上と経営を図るためには、水田に転換することが必要。」として、土地改良区が設立されました。
地元はその水源を信濃川に求め、その年の5月に小千谷市から水利許可申請がなされ、苦労の末、翌年3月に許可がなされました。
土地改良区が事業主体となった団体営ほ場整備事業約70ヘクタールと揚水機場工事は、昭和43年から総事業費220百万円を投入し、昭和46年に完了し、池ヶ原地区を美田に変えました。
当時の池ヶ原揚水機場の建設状況を紹介
断崖を開削して工事が行われた揚水機場(s44~s45)
揚水機場建屋建設の様子(s44~s45)
段丘斜面を昇る送水管の様子
通水式が行われた段丘上の吐出水槽
工事概要
- 区画整理 77.7ha 農道L=12.7km 排水路L=13.4km パイプかんがいL=8km
- 揚水機場 口径250mm×2台(全揚程143m)原動機350kw×2台
- 送水管 φ450 L=700m 吐出水槽1式
昭和45年5月19日に行われた通水式では、信濃川から水が140m高い所にある池ヶ原地区の吐出水槽の上端から水が滝のように流れ落ちて、思わず「バンザイ」の声がわき上がりました。
一方、池ヶ原揚水機場では、洪水により土砂が取水口に堆積し、ポンプ取水ができなくなる状況に陥ったため、土砂流入防止転倒ゲートを設置するなど改良を加えましたが、現在でもこの土砂の堆積に苦慮している状況です。
池ヶ原揚水機場は、建設から40年が経過
信濃川から140m段丘上の農地に揚水している池ヶ原揚水機場
揚水に必要不可欠な池ヶ原揚水機場のポンプ
近年、送水管の一部が損傷するとともに、安定取水が出来ないため、送水管の更新と補助ポンプを設置する工事を平成21年度から実施されているほか、ポンプの点検整備補修が土地改良区によって毎年実施されています。
当時の苦労が忍ばれる池ヶ原の吐出水槽
昭和52年、真人地区、上坪野地区が土地改良区に編入
昭和50年、真人(まっと)地区では約60ヘクタールのほ場整備(団体営)が計画され、地元の要請により、昭和52年、池ヶ原土地改良区に編入され、工事が実施されました。
また、同年8月には、上坪野地区約15ヘクタールが池ヶ原土地改良区に編入され、基盤整備事業(県単、土地総)が進められました。地元役員や組合員の団結によって工事は順調に進み、昭和55年、両地区ともに機械化体系への基盤整備が確立され、現在に至っています。
真人地区で整備されたのほ場の様子
ため池は、この地域の大切な用水源として利用されています。
平成11年度に県営事業により改修した中山ため池
真人地区にある北ノ沢池