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長岡地域の本与板土地改良区を紹介します。
本与板地域から望む与板橋
本与板土地改良区は、信濃川にかかる与板橋周辺の左岸地域の農地に係る農業用施設を管理しています。
土地改良区は、
- 農業生産を行う上で欠かせない用排水施設の整備・管理や農地の整備を目的として設立された農家の組織です。
- 国土の保全や美しい農村景観など多面的機能を持つ大切な資源である農地や農業用水を次世代に引き継ぐ役割を担っている組織です。
本与板土地改良区の概要
地形は、信濃川と三島丘陵に挟まれた窪地で、一級河川黒川が柏崎市の山地から長岡市大積、旧三島町地内を流下し、この与板地域で信濃川と合流している地域です。地域は、信濃川の堤防決壊により幾度も田畑が冠水し、水との闘いが繰り返されてきたところです。
現在、土地改良区は地区面積79ヘクタール、組合員126名で、揚水機場3箇所、ため池3箇所、用排水路L=19.8km、農道3.3kmを維持管理しています。
地域は「平坦地」と「山入り地域」に区分され、「平坦地」への用水は、黒川から揚水機場により取水し、地区中央部にある配水機場へ送水し、そこからポンプ(配水機場)によりパイプラインで圧送しています。又、「山入り地域」は、河内の入、塩の入、滝谷溜池の3カ所のため池により用水がそれぞれ供給されています。
本与板土地改良区の区域図
本与板土地改良区の始まり
この地域の耕地は、未整理地ではありましたが昭和20年代まで水稲が作付けされていました。昭和27年4月、以前から組織されていた本与板耕地整理組合を本与板土地改良区に改編し、用水改良を目的に新たに信濃川左岸土地改良区連合に加入しました。
しかし、その2年後の昭和29年、地区内の揚水機場が老朽化により吸い込みが出来なくなり、土地改良区は困窮し、信濃川左岸連合を脱退し、新たな地区内の用排水改良を目指しました。
本与板地域の耕地の様子
本与板土地改良区の事業実施概要
- 昭和34年:団体営かんがい排水事業
地区内の揚水機場、用排水改良を実施し、揚水機場では、黒川流末川から取水していた揚水機場を黒川からの取水に変更しました。 - 昭和38年:災害復旧事業で復旧した河内の入地区を土地改良区に編入。
- 昭和40年~41年:団体営整備事業
未整理であった農地を20アール区画に整備。 - 昭和63年~平成4年:団体営土地改良総合整備事業
地区内約62ヘクタールにおいて、農業経営の多様化を図るため、用排兼用土水路をパイプライン化し、配水機場を設置するとともに、排水路や暗渠排水、農道の整備が行われました。 - 平成10年~12年:県営ため池等整備事業
「河内の入」ため池 貯水量25,000立法メートル 堤高8.3m 堤長120m
「滝谷」ため池 貯水量17,000立法メートル 堤高6.3m 堤長50m
黒川から取水する揚水機場
揚水機場から圧送された水を各耕地に送水するための配水機場
ため池や揚水機場は、この地域の大切な取水施設として利用されています。
河内の入ため池
塩の入ため池
滝谷ため池
本与板地域は「お船の方生誕の地」
本与板地域には、かつての本与板城とその周辺の地形がそのまま残っています。
直江氏三代の館跡である「お館」は、お船の方生誕の地です。現在は跡地に「天地人」の著者、火坂雅志氏が書した石碑が建っています。
本与板町内会が建立した碑