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長岡地域の「川井土地改良区」を紹介します。
内ヶ巻地区は、一段高い耕地と低い耕地に分かれています。
川井土地改良区が管理する耕地を紹介します。
川井土地改良区の始まりは、川井大橋下流の右岸地域の農地整備を目的に昭和27年8月に設立されました。土地改良区は、現在組合員184人、地区面積は116ヘクタールで、管理区域は、内ヶ巻地区と川井地区の2地域に分けられます。
現在、土地改良区は116ヘクタールの耕地の用水を確保するために、揚水機場4カ所、頭首工等2カ所、用排水路L=46.5kmを管理しています。
土地改良区は、
- 農業生産を行う上で欠かせない用排水施設の整備・管理や農地の整備を目的として設立された農家の組織です。
- 国土の保全や美しい農村景観など多面的機能を持つ大切な資源である農地や農業用水を次世代に引き継ぐ役割を担っている組織です。
川井土地改良区の区域図
内ヶ巻地区の紹介
地区の西側は断崖で、その下には蛇行する信濃川が流れています。ここの水田耕地面積は約59ヘクタールで、昭和45年~47年に団体営ほ場整備事業により実施されました。地区の高いところは小千谷市、低いところの長岡市(旧川口町)となっています。
この地区の用水源は、地区の上流約3kmにある1級河川相川川から取水しています。内ヶ巻頭首工から取水した用水は、以前は山腹水路や隧道で導水していましたが、平成16年10月の中越大震災により山腹法面が大崩落し、用水路が埋没・崩落したことから、災害復旧事業により取水口から約3kmの区間で県道脇に送水管(φ450)を埋設し、用水供給がなされています。
相川川から取水する内ヶ巻頭首工
頭首工から送水管に導水される水路の様子
震災で崩壊した途中の隧道や水路は、慶応3年(1867)から着手され、明治4年(1871)にかけて掘られたもので、内ヶ巻集落の道路脇にその記念碑が建てられています。そこには、内ヶ巻地区で実施した団体営ほ場整備事業等の記念碑も建てられています。
隧道や水路の開削の功績を讃える記念碑
団体営ほ場整備事業等を記念して建てられた碑
大震災により、隧道、水路が崩壊した内ヶ巻用水路の様子
川井地区の紹介
川井地区の耕地の様子
地区の外周は信濃川と接し、地区内を県道川口・岩沢線が通過する水田耕地面積は約58ヘクタールで、昭和45年~47年に35ヘクタールのほ場整備が実施されました。
この地区の農業用水は、大きく4カ所から取水しています。
信濃川沿いの水田41ヘクタールについては、対岸に位置するJR隧道から導水し、塩殿揚水機場から川井大橋を送水管(φ400)で渡り供給されています。
JR隧道から取水した用水を対岸まで圧送する川井揚水機場
信濃川を渡る川井大橋と送水管の様子
中越大震災により信濃川右岸側に新たに設置された真皿揚水機場
また、江戸時代中期(1770年頃)に開墾されたといわれている真皿地区約10ヘクタールの用水は、冬井集落より1里ほど離れた十八沢川から取水していましたが、現在は中越大震災により山腹水路が被災し復旧が困難なことから、取水源を信濃川とした真皿揚水機場を災害復旧事業で建設し、取水しています。
山からの土砂崩壊により真皿用水路が崩壊
新たに設置された真皿揚水機場
さらに山沿いの比較的高い所の水田は、水野ため池から思川に流水してかんがいしているほ場21ヘクタールと駒形沢の自然湧水を利用しているほ場10ヘクタールがあり、夏季の渇水期等の水不足から岡田揚水ポンプや前島揚水ポンプで反復利用をしています。
なお、水野ため池は昭和61年から平成2年にかけて施設の老朽化が進んでいることから県営事業により改修されましたが、震災により、一部復旧がなされています。
地区内の排水を反復利用するための岡田揚水機場
地域の大切な用水源である水野ため池
川井・内ヶ巻地内では農地・水・環境保全向上活動にも取り組んでいます。
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