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【三条】「八十里越」の現地調査を行いました!
三条地域振興局(地域整備部・企画振興部)において、「八十里越街道」を調査しました。
「八十里越」とは
「八十里越」は、新潟県三条市(旧下田村)から福島県只見町に至る県境部分を指し、古来は越後と会津の交易の街道として往来が盛んでしたが、実際の距離は八里しかないところ、あまりの険しさゆえ一理が十里にも感じられたことからこの名がついたと言われています。
河井継之助と八十里越
1868年(慶応4年)、京都近郊の鳥羽伏見で同盟軍(東軍)と新政府軍(西軍)が衝突し、火蓋を切った戊辰戦争は、関東、東北、北海道へ広がる中で、現在の新潟県においても「北越戊辰戦争」と呼ばれる激しい戦いがありました。
特に軍事総督、河井継之助率いる長岡藩は、同盟軍としておよそ3か月にもわたる熾烈な攻防戦により新政府軍を脅かし、その戦いぶりは後世にまで語り継がれています。
「八十里 こしぬけ武士の 越す峠」という句は、重傷を負った継之助が担架に乗せられ峠を越える時に、悪路に揺られながら詠んだ自嘲の句として知られています。
現地調査
地元案内人の協力のもと、旧国道の道路状況等の調査を行うことを目的に国道289号(八十里越道路(工事中)から鞍掛峠)の片道約4kmの区間を調査しました。
現在工事中の国道289号八十里越道路は通行許可を取ったうえで実施しました。
今回の調査区間の一部は通行不能区間となっておりますので御注意ください。
1 調査日
令和2年8月7日(金曜日)6時50分~15時00分
2 調査区間
国道289号(八十里越道路(工事中)から鞍掛峠)
(1)8号トンネル登山口
8号トンネルから空堀の間では、橋が崩壊しており大変危険です。
※現在は通行できません。
(2)空堀
戊辰戦争で河井継之助が通ったと伝わる道です。 今も石碑に当時の地名が残っています。
道幅は狭く、険しい道が続きます。
(3)鞍掛峠
峠付近は道中の険しい道とは雰囲気が異なった開けた場所となっており、比較的維持管理が行き届いています。
ここを通った先人は、ここで野営をしたり疲れた体を癒すため休息をとったのではないかなと感じ、ロマンを掻き立てられます。
次回の調査について
次回の調査は、古来の「八十里越街道」(現在の「県道鞍掛八木向線」)の片道約10kmを調査する予定です。
ただし、今年はクマの活動が活発であり、入山は危険なため調査日は未定となっています。
八十里越に関する情報について
「八十里越」情報~南会津紹介コーナー~
三条地域振興局では、隣接する福島県南会津地方振興局と連携し、両地域の交流促進に向け、八十里越道路整備状況や南会津地域の情報を紹介するPRコーナーを三条地域振興局1階ロビーに開設しました。
「河井継之助の足跡をたずねて~北越戊辰戦争史跡めぐり~」
三条・長岡地域振興局管内にある北越戊辰戦争の史跡のみどころの他、周辺の観光情報を掲載したパンフレットを長岡地域振興局と協働して作成しました。
河井継之助や北越戊辰戦争ゆかりの地をたずねる際に、ぜひご活用ください。
このページに関するお問い合わせは
八十里越道路(国道情報等)について
地域整備部計画調整課
電話:0256-36-2308
Fax:0256-36-2290
PRコーナー・パンフレットについて
企画振興部地域振興課
電話:0256-36-2205
Fax:0256-32-5882
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