本文
第18回障害者芸術文化祭(文芸部門)の作品
文芸作品は、短歌25作品、俳句40作品、川柳25作品、自由詩28作品もの応募がありました。
いずれも、作者の皆さんの思いが込められた素晴らしい作品ばかりです。
入賞作品は下記をご覧下さい。
短歌部門
県知事賞
- 作者 木花(こはな)
- 作品 青空を たらふく食らう 笑い顔 見つめて嬉し つられて楽し
- 審査員コメント
「青空をたらふく食らう笑い顔」という上句(かみのく)からは、上を向き大きく口を開けて笑う様子が目に浮かびます。「たらふく」という口語が親しみやすく効果的です。
「見つめて嬉し」で一度切っておいて「つられて楽し」とつなぐのもリズミカルで、読む者も楽しい気持になります。
相聞の心も感じることのできる秀作となりました。
審査員特別賞
- 作者 齋藤 ひろみ
- 作品 母逝きて 空き家となりし 軒下に 銀河のように 十薬が咲く
- 審査員コメント
母上が亡くなられ、生家が空き家となってしまう。今はよくあることです。「軒下に銀河のように十薬が咲く」という第三句以下の転換が鮮やかです。十薬はもちろんどくだみのことですが、「銀河のように」の比喩がとても効果的です。
俳句部門
県知事賞
- 作者 小越 藤一
- 作品 本堂の きざはし句会 蝉時雨
- 審査員コメント
今年はコロナ禍で外に出ることも人と会うことも自由に出来ない。過去へ思いを馳せて俳句に詠むことは出来る。
お寺の本堂へ上る階段(きざはしと言う)で句会をやった。気の知れた者同士わいわいと言いながら楽しい句会となった。庭の木々からは句会に負けずに蝉の声が時雨のように降ってくる。
蝉時雨によって、楽しさが見える一句に仕上がった。
審査員特別賞
- 作者 白井 正江
- 作品 世は並べて コロナ籠りか 梅雨寒し
- 審査員コメント
今のニュース性のある句のことを時事句と言います。三密やソーシャルディスタンス等の流行語も生まれ、人々は外出を控えた。
こんな世間を「世は並(な)べてコロナ籠(こも)りか」と表現した。最後の「か」は文の終わりで詠嘆(えいたん)を表し、「どこもかしこもコロナ籠りだなぁ」という意味になります。何処へも出られない、いらいらした気持ちが「梅雨寒し」に重なり、自分の気持ちを旨く表現した。
川柳部門
県知事賞
- 作者 水野 千津子
- 作品 自己採点 一人カラオケ 虚しくて
- 審査員コメント
今年も皆さんの作品を拝見させていただきました。新しい顔ぶれが多いと感じ喜んでおります。川柳は奥深いもので最初の方にも苦労されたと思います。ベテランの方には無いものを投稿されてうれしく思います。水野千津子さんの着眼がよかったです。見事!!
審査員特別賞
- 作者 小山 泰正
- 作品 喜んで マスクをかけて ママに見せ
- 審査員コメント
とかく新しい方の川柳は力味(りきみ)が多くて読者には感じるものです。その中で今の川柳として「喜んで マスクをかけて ママに見せ」を推薦します。実に自然に出たことばが句となり『いま』を表現しています。おめでとうございます。
自由詩
県知事賞
- 作者 Echigo-ya
- 題名 アフターXx
- 作品
見えないものに怯えていたのは、私だけではなかった!
「ひきこもりはウチにいて楽だ」と言っていた近所のおばさんは、ステイホームが流行り出した頃から顔色が悪い。
社交不安のために校内で着用していた私にしつこく外すように指導してきた教師は、今やフェイスガードをしながらマスクをするよう唱えている。
Hspの私にとって、耳に何かがのっている状態のほうが辛い。
頻繁に手洗いする私を笑っていた職場の同僚は、今や誰よりも強迫的にアルコール消毒液を消費している。
広場恐怖による発作を抑えようと時間差で乗った電車は、以前より混んでいる。
Otで一緒だったネット依存症と言われている方々よりも、ウェブカメラ越しに ずっとやりとりしている大衆のほうが中毒的に見える。
元々パーソナルスペースが広いし、ヒトの顔を見ながら会話をするのが苦手なので、現状は有り難い。しかし、自活や意思疎通が以前より困難になっている方々も間違いなく存在する。
審査員コメント
冒頭の一行、「見えないものに怯えていたのは、私だけではなかった!」確かにそうです。たとえコロナウィルスの厄災がなかったとしても、人はみな見えないものにとらわれる性質を持っています。
これからも、時に愚かとも思える他者の行動を余裕で見守って下さい。
視点をずらせばいろいろなことが見えて来ます。記述力は応募作の中で抜きん出ていました。
審査員特別賞
- 作者 田中 文子
- 題名 精神病と戦う我が家
- 作品
私は30年近く精神病と戦って来た。
まだ、子供も幼く、母親の愛情がほしい盛りだったと思う。
その頃私は、幻聴を聞きながら、子供達に手をかけてやる事もできず、死ぬ事ばかり考えていた。
子供達の世話も、兄夫婦と両親が見てくれた。
今私は、兄が建ててくれた家で、1人暮らしだ。
建ててくれた時は、子供達もいて、にぎやかだった。
今では、猫といっしょにいる。
時々幻聴のせいで、やつ当たりを猫にしてしまう。
かわいそうと思うが、他に誰もいない。
なんで、こんな病気になったのかと思う。
母親は、病気になるまでは、何も心配をかけなかったと言うが、それでも30年もたつと、慣れて来て、作業所通いも楽しい。
子供達も、私の病気の事を知ってくれていて、私が感情をぶつけても、あたたかく接してくれている。
一度小2の孫が、私が薬を飲んでいるのを見て、「何の病気?」って言うから、心の病と言ったら、「誰か好きな人いるの?」と言っていた。
家ぞく一同大笑いだった。 - 審査員コメント
全体にほのぼのした体温の感じられる素直な書き方で、家族の方々の日常的な協力がしのばれます。
また、薬を飲む作者へお孫さんの云った一言がすてきです。読む者の想像の中で、病いが明るい花束のようなイメージにすり替わる一瞬に「詩」がありました。