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第20回障害者芸術文化祭(文芸部門)の作品
文芸作品は、短歌19作品、俳句35作品、川柳21作品、自由詩23作品もの応募がありました。
いずれも、作者の皆さんの思いが込められた素晴らしい作品ばかりです。
入賞作品は下記をご覧下さい。
短歌部門
県知事賞
- 作者 佐藤 寧治
- 作品 ウマオイが いつ入ったのか 背もたれに ひっそり乗って 我と旅する
- 審査員コメント
場所はどこか正確にはわかりませんが、「背もたれ」「乗って」「旅する」といった言葉から、自動車、バス、電車等の乗り物が想像できます。昼でもよいのですが、「ウマオイ」からは夜を思います。言外に夜の空気まで感じられるようです。伸び伸びとして、とても楽しい一首になっています。
審査員特別賞
- 作者 石岡 ヒロ子
- 作品 まっさらな 子らも巻き添え 哀れなり 海の向こうの 許せぬ戦
- 審査員コメント
「戦」はもちろん現在ウクライナで進行中の戦争でしょう。「哀れなり」「許せぬ戦」とまっすぐに気持を表現しています。それを支えているのが、「まっさらな子らも巻き添え」という表現です。「まっさらな子ら」とは新生児や幼児のことでしょう。この表現がとても優れています。
俳句部門
県知事賞
- 作者 白井 正江
- 作品 竹皮の 散る音数ふ 夜半かな
- 審査員コメント
筍は、生長すると根本から順に皮を脱いでいく。「竹の皮脱ぐ」が夏の季語です。幹から落葉のように散る様子は相当大胆な感じがします。作者のお宅には竹林があるのでしょうか。竹がどんどん生長し大屋根に届く位から落ちてくる竹の皮は「ばさり」と音がすることでしょう。周囲が寝静まって竹の皮の散る音が気になり眠れず、一枚二枚と数える作者の気持ちを良く表現しました。
審査員特別賞
- 作者 三浦 カズ
- 作品 想い出を 語りて我子と 端居かな
- 審査員コメント
この句の季語は「端居」です。端は家の中の端、縁側や窓辺の近くを言います。昭和を思い出す季語です。作者はお子さんと二人で思い出話を縁側で語りあったのでしょう。このようなことが自分にもあったと読者を引きつける上手い句です。ところで、俳句では我が子のことを我子とは言いません。「吾子」と言います。「吾子」で素晴らしい句になります。
川柳部門
県知事賞
- 作者 小雪
- 作品 梅雨明けて ひまわりの花 笑ってる
- 審査員コメント
「梅雨明けて ひまわりの花 笑ってる」小雪さんの川柳作品を県知事賞とします。ひまわりの花が笑っているという巧みな表現力が、この作品の構成の本質となし、見事な逸品と成しています。この作品を鑑賞していて、明るく素直な気持ちに誘われます、小雪さんおめでとうございます。
審査員特別賞
- 作者 古俣 キヨ
- 作品 アラートで 冷蔵庫から 出られない
- 審査員コメント
「アラートで 冷蔵庫から 出られない」キヨさんの作品、見事な比喩表現の作品です。アラート、冷蔵庫、出られないの三文字のことばしか、使ってないのに、この訴えかける力は川柳作品そのものと言えるでしょう。新型コロナが有、ミサイルが有、家にいればストレスで孤独死してしまうかも。見事な作品です。
自由詩
県知事賞
- 作者 権平 愛奈
- 題名 「わたし」がいる
- 作品
よく笑う よくしゃべる 声がでかい 時々家族にうるさいと言われる
へこむこともあるけど 立ち直りが早い 緊張しいだけど 負けず嫌い
そんな「わたし」が好き そんな「わたし」とずっと生きていく - 審査員コメント
「わたし」がいる、なんて、当り前のようなことを、まっすぐに言葉にしてくれました。そこに詩があります。この世に「わたし」がいることは、本当は不思議なことなんです。「好きなわたし」と、ずっと生きて下さい。
審査員特別賞
- 作者 レイ
- 題名 わたしのかんがえた さいきょうのハッピーエンド
- 作品
その一文は、幼い日の私を憂鬱にさせた。「王子様と結婚して――に暮らしました。」可哀そうなシンデレラ。意地悪な継母達に虐められる生活に戻りたくなければ、この先ずっと王子の顔色をうかがって生きていくしかないんだ。嫌われないように、お城を追い出されないように、気を使い続ける生活の始まりね。戻れば不幸。先行きは不穏。きっと浮気されても文句も言えない。だって相手は権力者だから。そう。相手だけが権力者。シンデレラにはなんの力もない。ただ見初められてお姫様になれただけの後ろ盾もない女では、別れる時にだってろくな弁護士もたてられず潰される。つまり慰謝料すら期待できない。シンデレラの美しさに見惚れた王子は、年をとって美しさが損なわれたシンデレラをどうあつかうのかな。ああ、可哀そうなシンデレラ。私が本当のハッピーエンドを考えてあげる! 「王子様はシンデレラにたくさんの財産をあげた後、泡になって消えました。」 - 審査員コメント
シンデレラ物語のハッピーエンドへの疑問と皮肉は、おどぎ話だからといえばそれまでのところを、さめた眼でみる論理には感心します。ここにあげられた「さいきょう」のハッピーエンドが、ほんとにそうなのかどうかは、作者もこれから先いろいろ考えることになるでしょう。