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【魚沼】 銀の道 その1
魚沼市の「銀の道」情報をお知らせします
銀の道は、江戸時代に銀山平(奥只見)の繁栄とともにひらけ、銀山から銀を運び出す唯一の道として栄えた枝折峠の旧道です。駒の湯温泉から明神峠を越え、奥只見(銀山平)の石抱橋までを結ぶ全長約12キロ、いたるところにブナ林が広がっています。
今回は、石抱(一合目)から大明神(十合目)までの登山道に建てられている標柱や標柱のいわれ等を紹介します。それぞれの標柱は、当時、道のりの目安として設けていた「一服場」跡に、標柱が建てられ、当時の面影を偲ばせます。銀山平登山口である石抱橋から大明神までは標高差440mとなります。
一合目(石抱(いしだき) 石を抱いたまま生長した木があったためについた地名といわれています。 写真左奥に開高健記念碑が見えます。
一合目にある「河は眠らない」 開高健記念碑です。
二合目(榛(はん)の木)かつて榛の巨木がそびえていました。ここから道は急になります。
二合目の先にある地図のモニュメントです。
三合目(オリソ)「御入り候」の転訛(てんか)したものか?といわれています。
四合目(十七曲り)つづら折りの坂道。
五合目(松尾根)松の巨木があった場所といわれています。
五合目から六合目の間は尾根づたいに見晴らしのよい道です。見下ろすと道路が見えます。
六合目(ブナ坂)ブナの大木があった所といわれています。
七合目(焼山)当時の山火事で、一帯が焼け果てたことからこの名がついたといわれています。
八合目(水場)水場の跡が確かめられ、湧き水が今も出ています。
九合目の標柱 問屋場といわれています。
銀の道の案内板
十合目(大明神)山仕事や銀山普請の安全を願って木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀ってあります。
※ 魚沼市観光協会資料から抜粋
なお、標柱のいわれにつきましては諸説あり、魚沼市観光協会のパンフレットや小出町史等を参考に取材し、内容を記載しました。
銀の道に関する詳細は、魚沼市観光協会へお問い合わせください。