本文
【上越】「上越地域における新田開発のあゆみ(用水編)」 を紹介します
(19) 牧、大島、浦川原、安塚地域の用水
牧地域の用水
県道の上を通過する棚広用水
上越市牧区の水田約600ヘクタールの大半は、山地斜面を造成した棚田となっており、その3割を畦畔が占めています。用水は、雪どけ水や山からの沢水を利用しているほか、雨水のみにたよる天水田が多い地域です。人々は、より安定した水量を確保するために、川に取水堰を設置したり、数多くのため池を築いてきました。
牧区の飯田川水系(猿俣川・湯ノ川・飯田川)には20箇所以上の取水堰があり、古くから流水を配分する権利については、厳しい秩序が形成されてきました。水利権は、上流優先・前者優先が原則で、下流にある四ヶ村用水という大規模用水があり、上流小規模な用水との間に水利権をめぐる微妙な力関係も存在してきました。
例えば、飯田川左岸の上流部の上牧・府殿地域には、明治中頃に建設された山腹を通る小峠用水があります。その用水は、飯田川の源流にありながら下流の用水組の水利権に制約され、上流の宇津俣地内の西ノ沢の沢水を水源として利用する地域です。
また、棚広・棚広新田地域では、江戸時代末期に飯田川上流から取水する用水路を計画しましたが、下流の用水組からの反対で40年間訴訟で争い、明治16年(1883)にようやく棚広用水が完成しました。大正8年(1919)には、宇津俣に「棚広用水池」を完成させましたが、他の用水組との間でも取水問題が発生しました。
このように、新しく堰を設けて取水する用水ができると下流の人々との争いや訴訟が幾度も繰り返されてきた地域でもあります。
大島地域の用水
菖蒲地域の整備前の耕地
農地環境整備事業で基盤整備(平成11年)
上越市大島区は、低い山々に囲まれた急傾斜地が多く、第三紀層(川が運んだ泥や砂、火山灰などが海底に積もってできた地層)といわれる地層で、地すべりが多く発生する地域です。
その水田面積は現在約500ヘクタールありますが、「耕して天に至る」という諺が古くから伝えられているとおり、2割程度が平坦部で、ほかは傾斜地を開墾した水田や畑が山頂まで続いています。
農業用水は保倉川やその支流、鯖石川の支流から頭首工や自然流下によるものが水田面積の4割程度、明治から昭和にかけて造られた約110箇所の小規模なため池によって用水を供給しているものが1割程度で、それ以外は融雪水や夏期の雨に依存した天水田となっています。
天水田が多いこの地域では、水の日持ちを良くするために秋の収穫が終わるか終わらないうちに畦ぬりを行ったり、通常春に田掻きする作業を秋に代掻きを行い、融雪水を貯留しています。
浦川原地域の用水
基盤整備が進められている上岡地区
上越市浦川原区は、地域の中央部を東から西にかけて保倉川が流下し、その支流となる猿俣川・細野川・小黒川・高谷川が南北に流れています。水田約500ヘクタールは、その周辺や階段状に開墾された丘陵地に広がっています。
大規模な用水としては、保倉川通りの長走から取水し、桜島・山本・今熊地域の耕地を潤す「中野用水」がありますが、それ以外の地域の用水は、保倉川支流の渓流水やため池に依存しています。
ため池は大小含めて約60箇所ありますが、すべてが用水補給で、約7割が個人所有の小規模なため池です。大きなため池は釜淵から西の保倉川に面した山沿いに集中しています。
また、顕聖寺より下流の保倉川右岸地域には、頸城区の耕地を潤す大瀁幹線用水路が流れていますが、この用水路が完成した後に開発された横川新田・印内新田・飯室新田の各耕地が広がっています。
安塚地域の用水
ほ場整備された安塚区の耕地
上越市安塚区の水田面積は約600ヘクタールありますが、急傾斜地が多く、その3割が畦畔となっています。その耕地は、区の中央部を流れる小黒川とその支流周辺を中心に、菱ヶ岳の標高60m~750mの斜面を削って開墾した山腹に展開しています。用水源としては、小黒川を松崎・石橋・和田・牧野などで堰止め、用水を導水しています。
また、山腹に開かれた天水田といわれる耕地では、各処に沢水を集め、ため池を造成し、その水を利用し耕作しています。昔から「稲を作るより水を作れ」という諺があり、山間地農業、天水田農民の鉄則・宿命といわれていました。この地域には約230箇所以上のため池がありますが、その約8割が個人所有の小規模なため池となっています。
また昭和40年代から町・県補助事業で耕地整理(一区画10アール~20アール)が行われ、全体の6割程度が整備されました。