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新潟県砂防発祥の地
新潟県における砂防事業の始まり
万内川は、妙高市の西方に位置する粟立山(1,194m)の北に源を発する、流路延長約7km、流域面積約30k平方メートルの砂防河川です。
新潟県の砂防事業は、大正10年(1921年)に万内川において石積みによる砂防堰堤(えんてい)が施工されて以来、幾多の悲惨な土砂災害を貴重な経験とし、対策技術の研究を重ねてきた結果、地域の安全を守り、活性化に貢献する事業として、砂防関係事業は充実発展してきました。
明治35年(1902年)5月19日、粟立山が大音響と共に大崩壊を起こし、万内川と支流の日影沢を埋めつくしました。折からの融雪と相まって、やがて崩壊した土砂は土石流となり、下流域の西野谷集落を襲いました。集落53戸のうち30戸が流出し、ほとんどの田畑が失われましたが、山の異変に気づいた村人が素早い避難を行ったため、人的被害は死者1名でした。
この大規模な土砂災害を契機に、大正10年から県下初の砂防事業が着手されたことから、「新潟県砂防発祥の地」とされています。
その後、昭和の時代に入ると、魚野川流域でも砂防事業が始まり、徐々に県内各地へと砂防事業が展開されてきました。
時代に先駆けて堰堤工、谷止工などが着手され、災害の発生を防止すると共に、これらの砂防設備は砂防事業の歴史を今に伝える貴重な遺産となっており、平成15年(2003年)3月18日に万内川の石積堰堤工群が登録有形文化財に登録されました。平成15年7月1日には日影沢の石積床固工群と支流クズレ沢斜路工も登録有形文化財に登録されています。
万内川一号砂防堰堤(大正10~12年)
一号砂防堰堤とその後完成した堰堤群
令和3年で事業の開始から100年の節目を迎えることから、改めて、土砂災害の危険性や砂防事業の効果・重要性を発信することを目的として、万内川砂防事業100周年記念事業を行いました。