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妙高砂防事務所の歴史
事務所誕生の経過
妙高市の西野谷集落は粟立山崩壊後、現在に至るまで砂防事業による対策が次々と講じられ、治山治水の恩恵により住民の生命、財産が護られてきました。
- 大正8年(1919年)、万内川砂防工事調査始まる。
- 大正10年(1921年)10月 砂防堰堤(えんてい)工 着工
この工事は県の直営工事として行われ、担当職員は常時集落内の各戸に2,3人づつ分宿し、一般のお宅を仮事務所として10人位の職員が約5年間工事の監督、施工に当たりましたが、その後仮事務所の北側に事務所を移転しました。当時は、交通機関も不備であり、建設機械もほとんどないため、全て人力による施工であり、一号堰堤は着工から完成まで3年の歳月を費やしました。
西野谷集落の砂防事務所前にて
日影沢の測量状況(大正12年)
ちなみに、セメント、砂は直江津より馬車で運び、砂利は現地で玉石を手槌で砕いて使用するという、今では考えられない工事でありました。
「大正十三年新潟県第一号堰堤完成、この工費二万六千五百六十七円なり。以後、万内川本流に約二十基の堰堤、粟立沢、日影沢に谷止工、山腹工数十基入る。昭和八年の大洪水により万内川本流堰堤の大半を流失、破壊され、その後復旧。」と記録されています。
事務所沿革
年号 (西暦) |
出来事 |
---|---|
大正10年 (1921) |
関川水系万内川に新潟県第一号空石積堰堤が施工される |
昭和2年 (1927) |
万内川砂防事務所設置 |
昭和15年 (1940) |
関川砂防工事事務所を設置 中頸城郡全域を管轄(旧牧村を含む) |
昭和16年 (1941) |
高田土木派遣所新井砂防工場と改名し、新井駅前に移転 |
昭和18年 (1943) |
新井砂防事務所となる |
昭和26年 (1951) |
新井市白山町へ移転 |
昭和27年 (1952) |
補助地すべり対策事業はじまる |
昭和40年 (1965) |
上越地方集中豪雨 特殊緊急砂防事業実施 |
昭和42年 (1967) |
補助急傾斜地崩壊対策事業はじまる |
昭和56年 (1981) |
事務所現在地(妙高市美守)に新築移転 |
平成4年 (1992) |
地すべり資料館開館 |
平成7年 (1995) |
梅雨前線豪雨により、関川、姫川に観測史上最大級の降雨と出水があり大きな被害(7.11水害) |
平成15年 (2003) |
万内川石積堰堤群、日影沢石積床固工群が登録有形文化財となる |
平成16年 (2004) |
地域機関の再編により上越地域振興局新井砂防事務所となる 旧名立町が管内に編入 |
平成17年 (2005) |
市町村合併により、新井市に妙高高原町、妙高村が編入し事務所所在地が妙高市となり、上越地域振興局妙高砂防事務所となる 上越市安塚区、大島区、浦川原区、牧区が管内に編入 |
平成19年 (2007) |
新潟県中越沖地震が発生し、上越市柿崎区において大きな被害 |