本文
8 良寛堂
概要・良寛とのゆかり
良寛堂は、出雲崎町石井町にある良寛の生家橘屋の跡地(当時の敷地面積は現在の境内の2倍はあったといわれている。)に建てられている。
大正4年に、山田寒山は出雲崎で講演をした折、良寛生誕の地に良寛を顕彰するものを造って欲しいと訴えている。
これが発端となって、佐藤吉太郎(耐雪翁)の奔走により、橘屋跡にあった長屋17軒分の約300坪が買収され、大正11年4月11日に着工、9月16日に完成した。
日本画家で昭和23年に文化勲章を受章した安田靫彦が宇治の平等院鳳凰堂楼閣から海に浮かぶ浮御堂をイメージして設計し、伊豆の修善寺温泉新井旅館3代目相原沐芳館主から台湾桧を譲ってもらって建てられた。
この良寛生誕の地「橘屋屋敷跡」は昭和27年12月10日、新潟県指定文化財第8号に指定された。
堂内の御影石で出来た石塔には、良寛が常に持ち歩き、枕地蔵ともいわれる石の地蔵がはめ込まれていて、良寛自筆の歌も刻まれている。
境内には良寛の父以南の句碑もある。入り口の左側に建つ「良寛和尚誕生之地」という碑は、永平寺管長・日置黙仙師の書で、大正9年に建てられた。
全景写真
詩歌碑・像
良寛歌碑(いにしへに):大正11年、佐藤吉太郎等建碑
以南句碑(我がやどは):昭和58年出雲崎史談会建碑