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88 椿の森(熊野神社)
概要・良寛とのゆかり
籠田にある熊野神社は、美しい椿が群生していることから「椿の森」と呼ばれる。樹齢数百年の藪椿の群生と欅の巨木は一見の価値がある。
籠田神社の由来は、およそ千年の昔、この地に小山が生まれたという伝説があり、そこにできた神殿が熊野神社の原形となった。
現在の社殿には、現存する和島地域最古の棟札(貞享4年(1687))がある。
小木ノ城を源流とする島崎川は新潟まで繋がる水運で栄え、神社の眼前には、その発着点であった「椿の森 船着き場」があり、神社は航行の安全祈願の信仰対象として大正前期まで隆盛した。
文化7年(1811)頃、良寛の妹「むら」の四女「つた」が熊野神社の氏子で籠田の庄屋であった新宮家に嫁いだ。良寛は亡くなるまでの20年間、姪の嫁ぎ先である新宮家をたびたび訪れ、お盆の時期には女着物をを借り着し、頬被りして顔には白粉をつけて、境内の盆踊りに加わった。
出雲崎おけさを好んで踊ったといわれている。
文政11年(1828)の三条地震の際も、偶々新宮家に逗留しており、ここで地震の漢詩を創作した。
境内にある良寛の歌碑も新宮家から望んで詠んだものといわれている。
また、籠田の南東の和島中沢には、大矢家(個人宅)があり、庭上に良寛詩碑がある。
全景写真
詩歌碑・像
良寛歌碑:昭和62年6月、和島村良寛奉賛会建碑、筆者 良寛(草堂集より集字)
大矢家の良寛詩碑(交友莫争):平成元年建碑