本文
福島江土地改良区を紹介します。(その1)
土地改良区は、
- 農業生産を行う上で欠かせない用排水施設の整備・管理や農地の整備を目的として設立された農家の組織です。
- 国土の保全や美しい農村景観など多面的機能を持つ大切な資源である農地や農業用水を次世代に引き継ぐ役割を担っている組織です。
福島江土地改良区ってどんなところ?
現在、管理農地面積3,477ヘクタール、組合員4,219人。県下有数の長岡の農業地帯を管理する土地改良区です。
管理区域は、旧越路町、旧中之島町を含む長岡市と見附市に至る信濃川右岸地域と刈谷田川左岸地域で、農地を潤す用水路や洪水から水田被害を守るための排水路などの農業用用排水施設を管理しています。
信濃川の妙見堰上流で取水し、福島江用水路を経て長岡地域の大地を潤しています。
妙見堰上流から取水する福島江取水口
福島江取水口から撮影した妙見堰の様子
近年における福島江土地改良区の合併の動きと概要
福島江土地改良区は、明治41年に設立された福島江普通水利組合が土地改良法制定に伴い、昭和27年2月に福島江土地改良区に組織変更されたものです。
その後、昭和41年3月に向島土地改良区と合併し、さらに平成16年3月に、猿橋川土地改良区、山北土地改良区、大江土地改良区と合併しました。平成19年4月には、五ヶ江土地改良区、平成22年4月上古志土地改良区、東大新江土地改良区と合併し、現在に至っています。
管理している施設は、
- 頭首工、井堰 6カ所、用水路76km、排水路48km
- 揚水機場24カ所、排水機場12カ所
- 水位調整施設18カ所、他取水、注水施設等1式 です。
長岡管内では、信濃川左岸土地改良区に次ぐ管理面積の大きな土地改良区です。
福島江用水の歴史(用水編)
偉大なる業績を偲び明治34年に建てられた記念碑(福島江土地改良区脇)
江戸時代初期、信濃川右岸地域は、長岡藩の上組、北組と呼ばれており、田に引く水は、太田川や栖吉川などの水だけが頼りで、農民は毎年水不足で悩んでいました。
慶安4年(1651)、福島村(現長岡市)の庄屋、桑原久右衛門は、六日市村妙見地先(現長岡市)に取水口を設け、猿橋川までの約20kmの長い水路を開削しました。
長岡市のまちなかを流れる福島江用水
この工事には、3年余りの歳月と莫大な労力・資材を投じましたが、この効果は極めて大きかったので関係農民は桑原氏の功をたたえ、久右衛門の出生地である福島村の名を冠して「福島江」と名付けました。取水口は、最初は妙見としていましたが、その後数年を経て信濃川の流心変動により、下流の三俵野に移しました。
取水口は毎年、堆積土砂の排除に苦労していましたが、明治41年公布の水利組合法に基づいて、935haの福島江普通水利組合を設立して維持管理にあたることとなりました。
福島江第1次改修工事(大正10年~14年)かんがい面積4,426ha 14.6立法メートル/s
大正時代に入り、刈谷田川大堰に依存する刈谷田川最下流域並びに東山流域の用水不安定な渓流、ため池区域に用水補給すること、信濃川から取水に困難を来していた五ヶ江用水の合口することを目的に、取水口を上流約1.5km上流に移動して、中之島村並びに刈谷田川大堰への導水路を増設・新設しました。
池ノ島サイホンを経由して刈谷田川へ導水する福島江
福島江の水が導水されている刈谷田川注水口
福島江第2次改修工事(昭和11年~26年)かんがい面積6,568ha 22.95立法メートル/s
大正11年に大河津分水路が通水したことで、信濃川の水位が低下し、必要水量の取水ができなくなったことや耕地整理の進行により農地条件が変化し用水量が増大してきたこと、水路の不備等により、中之島地域の用水量が供給不足であったことなどから、取水口の敷高を1.22m下げ、取水量を22.95立法メートル/sに増大し、水路断面の拡張、改良を図るとともに、山北江、中之島地域専用の用水路を新設して代償用水の不足分も補給しました。
中之島地域に用水を供給する川辺調整堰
中之島地域への用水路(大口サイホン手前)
県営かんがい排水事業(信濃川右岸地区)昭和27年~45年 かんがい面積7,824ha 25.7立法メートル/s
これまでの改修工事により福島江は、上古志から南蒲原地域を潤す一大用水路となりました。
しかし、信濃川の河床低下と流心の変動、JRの朝夕2回のピーク発電等により安定した取水がなかなか難しかったことから取入口を約2,000m上流に移動し、土砂の流入を防止しながら、所用水量の確保と安定取水を図りました。(取入樋門1カ所、隧道1,619m、東大新江5,360m、福島江7,460m、池之島サイホン1カ所)
猿橋川をサイホンで横断する福島江(池ノ島サイホン上流)
福島江は、大正10年に着工した第1次改修工事以来、50年間にわたって取水口を移動、改修、さらに水路を延長して、信濃川水系、刈谷田川水系、渓流、ため池水系を福島江に統合し、上古志、嵐南、貝喰、中之島の用水系統を再編成して、かんがい面積900haから8,200haへと拡張してきました。
その後、平成2年3月に妙見堰が改修され、福島江の取水口も改修に併せて上流から下流の現在の取水口に変更になりました。
参考資料:「刈谷田川右岸における農業水利の展開 刈谷田土地改良区」および福島江土地改良区提供資料による。
福島江から取水し信濃川右岸の大地を潤す東大新江用水路と山北用水路
東大新江用水
江戸時代末期、川筋に近い村々は福島江の完成により、干害に悩まされることが無くなっていましたが、一方で山沿いの村々では水田に水を引くには、山からの出水のみで水不足に苦慮していました。当時、栖吉村の庄屋である佐々木要吉は、この状況を改善すべく、多くの農民の力を借りて総延長約12kmの水路開削を試み、50年後の明治29年に東大新江用水路が完成しました。現在、水路が老朽化し維持管理に苦慮していることから、県営事業により水路改修を実施しています。
山北用水路
水源を東山の渓流水やため池に頼っていた麻生田、浦瀬、亀崎、椿沢地域は、安定した用水を確保するため、昭和19年~27年にかけて農用地を開削し、新規の農業用水路を造りました。その後施設は、経年変化により老朽化し、昭和53年~平成6年にかけて県営かんがい排水事業により施設更新がなされ、現在に至っています。
県営事業で改修中の東大新江用水路
県営かんがい排水事業により整備された山北用水路
大江用水は、刈谷田川から取水し、水田に用水を供給しています。
刈谷田川から取水する鴉ヶ島頭首工
施設の老朽化が目立ちはじめた大江用水路
福島江は、福島江刈谷田大堰土地改良区連合を組織して管理しています。
現在の刈谷田大堰の様子
福島江は、刈谷田川右岸地域にも用水を供給していることから、昭和10年2月に福島江刈谷田大堰普通水利組合連合を組織し、昭和27年2月に現在の福島江刈谷田大堰土地改良区連合を改組されました。現在の関係全体受益面積6,949haで組合員6,707人となっています。