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【聖籠土地改良区】

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0058269 更新日:2019年3月29日更新

「聖籠土地改良区」を紹介します

聖籠土地改良区管内図画像
聖籠土地改良区管内図(この地図は国土地理院発行の5万分の1地形図を使用)

 聖籠土地改良区は、北西に派川加治川、北東は加治川沿い、南東は新発田川及び中田川に接し、西は新潟市北区に接する耕地約960ヘクタールの農業用用排水施設を管理しています。
 耕地約960ヘクタールのうち、水田が約830ヘクタール、畑が約130ヘクタールとなっており、聖籠町と新発田市の一部を所管しています。

樹園地帯を流下する正庵排水路の画像
樹園地帯を流下する正庵排水路

 昭和31年(1956)、聖籠土地改良区は戦前より進められていた国営阿賀野川沿岸農業水利事業(排水)の受け入れ団体として設置されていた北蒲原土地改良区から独立し、設立しました。

耕地整理の動き

 明治30年代、食料の安定供給を目的に耕地整理法や水利組合法が制定され、組合による交換分合と区画整理を目的とした耕地整理のほか、水害防止・用水改良が可能となりました。
 耕地整理を行うことで、耕作面積の増が期待されることから、少しでも収量を増やそうと聖籠町でも明治38年(1905)から道賀新田周辺の約80ヘクタール、魅し39年(1906)から蓮野周辺約190ヘクタールで耕地整理が開始され、大正初期に事業が完了しました。
 戦後の昭和27・28年からは真野~二本松地域にかけて405ヘクタール、昭和29年度に八万刈地域で233ヘクタール、昭和30年に浦山地域で56ヘクタール、昭和32年に正庵地域で70ヘクタール、昭和33年に田の島、三賀地域で90ヘクタールの10アール区画の区画整理事業が行われ、土地改良区域全体の区画整理がほぼ完了しました。

近年、大区画の再ほ場整備が開始されました

ほ場丸潟地区整備前の画像
現在実施しているほ場整備丸潟地区の整備前

ほ場丸潟地区整備後の画像
現在実施しているほ場整備丸潟地区の整備後

 平成6年(1994)から平成13年(2001)にかけて、道賀新田地区ではこれまでの10アール区画では農道幅も狭く、用排兼用水路で営農上困難であったことや農業者の高齢化も進行していたことから、将来を担い手を育成するため、一区画50アール以上の大区画となる区画整理104ヘクタールを実施しました。
 また、平成23年(2011)からは、丸潟地区として約48ヘクタールのほ場整備事業が進められています。

昭和40年代から盛んに行われた用水・排水改良

 昭和16年(1941)から営団で始まった排水改良は、戦後国営阿賀野川沿岸農業水利事業(排水)に継承され、新発田川自然幹線排水(現新発田川)や金清水排水路、二藤排水路、二本松排水機場などが昭和30年代に改修・整備されました。これら排水改良により、地区内の排水は非常に良くなりましたが、用水は依然として最下流部であることから、渇水期になると水不足が発生し、人々は困っていました。

団体営事業で整備された三賀用水路の画像
団体営事業で整備された三賀用水路

 昭和39年(1964)、国営加治川沿岸用水改良事業が開始され、昭和45年(1970)からは附帯県営事業が始まり、加治川第2頭首工から取水した用水は、左岸幹線用水路から新用水路、二本松第1用水路、第2用水路、大沼用水路を経由して水田に安定供給されるようになりました。
 また、昭和40年代中頃に二本松や蓮野、諏訪山、大夫興野などで畑地をかんがいする揚水機場が数多く設置されました。

新発田川に排水する寺島排水機場の画像
新発田川に排水する寺島排水機場

 排水については、管内周辺の開発等により流出量が増加し、しばしば湛水が発生して困っていたことから、昭和57年(1982)に排水対策特別事業で正庵排水路を、昭和60年(1985)から湛水防除事業聖籠地区として寺島排水機場や二本松排水機場(樋門)、寺島排水路や角庵排水路を改修し、さらに平成元年からは藤寄地区として金清水排水路を改修し現在に至っています。

新発田川に排水する二本松排水樋門(左)と排水樋門に流下する角庵排水路画像
新発田川に排水する二本松排水樋門(左)と排水樋門に流下する角庵排水路

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