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にいがた水利施設百選「江戸天明の昔から中里の段丘潤す用水施設」
桔梗原頭首工(ききょうはらとうしゅこう)、桔梗原随道(〃ずいどう)、桔梗原用水(〃ようすい)
桔梗原頭首工と桔梗原用水路(平成25年8月13日撮影)
信濃川の支流・清津川には、黒部峡谷(富山県)、大杉谷(三重県)とともに日本三大渓谷に数えられる清津峡があります。
川を挟んで切り立つ巨大な岩壁のV字型渓谷は、国の名勝・天然記念物に指定されおり、雄大な柱状節理の岩肌と清津川の急流の取り合わせはダイナミックで、多くの観光客が訪れます。
この景勝地・清津峡から3キロほど下流に、桔梗原頭首工があります。頭首工(とうしゅこう)とは、河川などから、農業用水を用水路へ引き入れる施設で、この施設は毎秒約2トンの水を桔梗原用水路へ取り入れています。また、冬期間には、消雪用の用水を取水しており、中里地域の人たちにとって大変重要な施設です。
桔梗原頭首工の魚道の様子(平成25年8月13日撮影)
桔梗原用水は、清流と呼ばれる清津川の水を取り入れているため、とてもきれいなのが特徴です。水路の水深は2メートルほどありますが、透き通って底まで見え、岩魚や山魚女が紛れ込んでいるのが分かります。
右の写真の手前の水路は、魚道と呼ばれるもので、アユなどの遡上を助けるために作られています。
まだ、プールがなかった時代、子供たちは、頭首工の水溜まりで、泳いだり、魚を取ったりして遊んだそうです。
桔梗原用水(開水路部)(平成25年8月13日撮影)
桔梗原用水路の総延長は約9キロ、その内、開水路が約6キロ、随道が約3キロあります。
開水路の大きさは 巾1.2メートル、深さ2.3メートルもあります。ゴミの流入防止、人やカモシカなどの動物が落ちないようにフタを載せてあります。
フタを載せてあるので、あまり目立ちませんが、水路の中は、ゴーゴーと音を立てて大量の用水が流れています。
五郎兵衛大明神の碑(平成25年8月13日撮影)
桔梗原用水は、今からおよそ230年前の天明5年(1785)に工事に着手し、2年間で9キロが作られました。用水が届く先は、河岸段丘のススキ野原でしたが、用水が出来たことによって約150ヘクタールの新田が開発されました。
今のように進んだ機械のない時代ですから、ツルハシやトウグワなどで岩や土を切り崩し、モッコで運び出した。長い長い随道の工事は、苦労の連続だったと想像できます。
この事業に尽力したのが、村山五郎兵衛という庄屋さんで、「五郎兵衛大明神」として近くの神社に祀られています。
右文面
「この自然石の碑は清津川から引水により開田ができた事に感謝して文化9年(1813年)通り山の村人達が庄屋五郎兵衛」の生存中に顕彰して建てたものです」
桔梗原用水路(随道入り口)(平成25年8月13日撮影)
桔梗原用水路は、清津川揚水機場で用水の一部を分水してから、開水路から随道になります。
随道は 元々素掘りで、200年間の長きに渡り維持管理に苦労してきましたが、昭和57から平成7年にかけて、県営ため池等整備事業によって、コンクリート製のトンネルへと生まれ変わりました。
随道の高さは、1.8メートルとなり、人が不自由なく入れる大きさになりました。何より、落盤の心配がなくなり、維持管理が格段に楽になりました。
朴木沢立坑(平成25年8月13日撮影)
随道の途中には、管理用の立坑があります。カッパの絵が目を引き、知らない人は何だろうと思いますが、フタから5メートルくらいの深さにトンネルがあり、大量の用水が流れています。
今から200年以上も昔に作られた桔梗原用水は、現在、中里土地改良区と地域の方々が、大切に管理しています。
これまでも、これからも、中里地区の農業や生活を支えてくれる大切な施設です。