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『トイレを探る』の第3回で取り上げた「大河津分水」、その歴史を遡って調べてみると、また面白い発見がありました。そこで、今回は『トイレを探る』の番外編として、「弥彦神社と大河津分水との不思議なつながり」と題し、お届けしたいと思います。
「弥彦神社」と言えば、新潟県随一のパワースポットとして有名ですが、『トイレを探る』の第1回で取り上げたスポットでもありました。その境内には、「十柱神社(とはしらじんじゃ)」という末社(まっしゃ)があります。この「十柱神社」こそ、大河津分水とのつながりを謎解くカギだったのです。
弥彦神社境内末社である「十柱神社」の社殿。
国の重要文化財に指定されている。
明治3年(1870年)分水路の掘削予定地を一望できる石湊山に、工事の成功と安全を祈って「石湊神社」が建立されました。この「石湊神社」には、弥彦大神と土・水・山・野・海・川等十柱の神が工事守護神として祀られていました。
現在、石湊山に神社はありませんが、分水路を一望することができます。
(出典)国土交通省 北陸地方整備局 信濃川河川事務所 「分水路だより」平成30年4月1日号(No.36)
明治6年(1873年)県令楠本正隆の命で、「石湊神社」に祀られていた弥彦大神と土・水・山・野・海・川等の十柱の神が弥彦神社に合祀されることとなりました。弥彦神社では、弥彦大神を本社に奉遷、ほかの九柱神を「五所宮」(後の「十柱神社」)に合祀しました。
ちなみに、「五所宮」とは、元禄7年(1694年)長岡藩の第三代藩主である牧野忠辰により、弥彦神社境内に新たに社を創建し、牧野家に関わる四霊神と、境内にあった大己貴命(おおなむちみこと)を祀る末社を合融し、「五所宮」と称したことに始まるとされています。
明治8年(1875年)牧野家に関わる四霊神を廃祀、大己貴命と九柱合わせて十柱を祀り、社名が「十柱神社」と改められました。
写真の一番奥に見えるのが、「十柱神社」の社殿。
茅葺屋根の入母屋造で簡素であるが、歴史の風情を感じさせてくれます。
この場所には、「十柱神社」を含め八つの摂社(せっしゃ)・末社が並んでいます。
弥彦神社に行った際には「拝殿」だけでなく、こちらの摂社・末社にも足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
弥彦神社の全体はこちらをご覧ください。 [PDFファイル/949KB]
●弥彦神社<外部リンク>
●弥彦観光協会「やひ恋」<外部リンク>
●にいがた観光ナビ「彌彦神社」<外部リンク>
●国土交通省 北陸地方整備局 信濃川河川事務所 大河津分水路情報館<外部リンク>
●信濃川大河津資料館<外部リンク>
●にいがた観光ナビ「信濃川大河津資料館」<外部リンク>
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