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白田切川土石流災害
災害発生
昭和53年5月18日午前6時20分頃、中頚城郡妙高村(現在は妙高市)地内の赤倉山山腹の国有林内で大規模な土砂崩壊が発生しました。
発生した土石流は融雪水などとともに土石流化し、赤倉温泉に通じる県道の白妙橋上流であふれ出し、下流の白妙橋や川沿いの建物等を押し流しました。
この土砂は、そのまま約3km下流にある国道18号や国鉄信越本線(現在のJR信越本線)まで押し寄せ、被害を与えました。
被害状況
被害を受けた新赤倉温泉街
白田切川中流を流れる土石流(撮影:鴨居国博氏)
被害を受けた信越本線
推定土砂量620,立法メートルという膨大な量の土石流は、自動車並みの速度で白田切川は流れ下り、既設砂防えん堤下流で氾濫しました。
災害発生当日の気温は高く、かなりの量の融雪水が川に流れ込んでいたと推測されています。
対策工事
妙高山の火山活動によりつくられた周辺の地質は、火山地帯特有の軟弱で風化しやすい地質であるため、融雪水や集中豪雨等により崩壊が起こりやすい地質です。
このため、再び同程度の土砂災害が起きても被害がない様に、上流の治山計画と下流の砂防計画とを合わせて計画し、さらには土砂が氾濫した区域に遊砂地を設けました。
整備された遊砂地
詳細な対策工事については、下記パンフレットをご覧ください。
30年以上が経過して
被害から30年以上が経過し、このような大きな災害があったことを知らない世代も大分増えてきました。
そこで災害発生からちょうど30年にあたる平成20年5月18日に、地域が中心となり「白田切川土石流災害から30年 地域の防災を考えるつどい実行委員会」を立ち上げ、被害にあわれた方々の追悼慰霊祭を行うとともに、土石流災害が発生したとの想定で総合防災訓練が行われました。
さらに当時の災害体験や今後の土砂災害に対してどのように備えるかなどの公演が行われ、このような災害の記憶を引き継ぎ、大きな被害を受けないための取り組みが地域では今でもなされています。
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