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【柏崎】柏崎の農業をささえた偉人たち(1)
青山瀬兵衛(あおやませべえ) 鎧堰(よろいぜき)と呼ばれる頑丈な藤井堰を完成
現在柏崎市の平井地区にある藤井堰。北鯖石地区や田尻地区など830haの田に水を届けるための重要な施設です。
草堰(イメージ)
最初の藤井堰は今から約400年前、与板の城主であった侍の直江兼続公が新しい田んぼの開墾のために造りました。
当時の堰は草堰と呼ばれ、木の杭とそだ木と土俵を積んで造られており、洪水でたびたび壊れたので、より頑丈な堰が望まれていました。
草堰が造られてから約50年後の正保元年(1644年)、刈羽郡奉行の青山瀬兵衛は、それまでの堰から1kmほど上流の平井地区に、新しく頑丈な堰をつくりました。堰の工事は非常に苦労を伴い、何度も大水で流されたり、人夫が亡くなったりしながら、10年がかりでようやく完成しました。
新しい藤井堰は土手の高さが4.5m、長さ1278mと当時のものとしては非常に巨大なもので、武士の鎧(よろい)に似ていたため、「鎧堰(よろいぜき)」と呼ばれました。また、同時に川の左右両方に東江・西江という用水路の開削工事も行われました。
堰段鎧之図(柏崎土地改良区所蔵)
三堰完工記念図(柏崎土地改良区保存)
藤井堰と東江・西江の完工のおかげで、刈羽平野の多くが水害と干害から救われました。青山瀬兵衛の功績をたたえ、平井地区の福勝寺の裏山には瀬兵衛の石碑が立てられています。
青山瀬兵衛の墓と石碑
参考文献
柏崎市教育委員会小学校社会科副読本編集委員会、わたしたちの柏崎、柏崎市教育委員会、平成24年3月31日全面改定発行、p91-97
柏崎市、「柏崎の先人たち」柏崎・刈羽人物誌、柏崎市、平成14年3月24日発行、p282-283