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三面川流域の生き物と恵み
森の仲間達
三面川上流には数百年から数千年と言う長い年月をかけて食物連鎖を繰り返しながら生成してきた自然がたくさん残されており、ブナやミズナラと言った秋になると木の実などの豊かな恵みを与える落葉樹が広がっています。
そしてこうした森の中を生活の場としている動物たちがたくさんいます。
水辺の仲間達
これらの森は保水能力に優れており、降った雨を木の葉や幹を通じて土壌に浸透させて植物の成長を助けたり、長い時間をかけて地下水となり、湧き水となって動物たちのノドを潤し、清流となって魚や鳥たちの住みやすい環境を整えます。
三面川の恵み
清流は山を下り、谷を下り、母なる川「三面川」となって下流の田畑を潤します。
三面川」と言えば「鮎」あるいは「鮭」と言われるように、季節になると魚達が川をのぼり浅瀬では釣人達でにぎわいます。特に冬は各家の軒先に鮭が吊されている光景をよく目にします。自然豊かな三面川は昔から人々の生活と深いつながりがあり私たちの生活に大きな恵みをもたらしています。
村上地方では鮭(サケ)のことを「ヨーボヤ」や「イヨボヤ」と呼んでいます。
「イヨボヤ」は「イヨ」と「ボヤ」に分かれ、両方とも「魚」を意味する言葉で、特に「イヨ」は村上の方言で「魚」を「イオ」と発音することがあり、これがなまったものだと考えられています。三面川の鮭は昔から人々の生活に深く関わっていたことから、人々は鮭のことを「イヨボヤ=美しく見栄えがし一番偉い魚」つまり「魚の中の魚」と讃え、こう呼んでいます。
季節風が吹き始める11月中旬になると、いよいよ塩引きの季節が始まります。塩引きの「引く」には「まぶす」とか「たっぷり塗りつける」と言う意味があり、また村上地方の塩引き鮭は胸鰭まで包丁を入れた後、いったん止めて数センチあけてから尾鰭まで開くと言う特徴があります。これはその昔、村上藩の武士達が切腹を嫌ったためと言う説があります。
内臓を取り除き、きれいに洗ってから、手のひらに塩をのせ尾鰭から頭に向かって擦り込み、腹の中も丹念に仕上げます。頭や目に塩を詰めて塩処理をし、養生した後に水洗いをしてぬめりや残留物を取り除きます。この作業の出来が塩引き鮭の出来を左右します。
塩出しの終わった鮭は尾鰭から頭が下になるように吊されます。これはいくつかの利点が複合化して習慣化したと言われています。また村上地方の気候は寒気が強すぎるわけでもなく、湿度が不足するわけでもなく、ほどよい寒風と調和することで日本一の塩引き鮭を作り出しています。
年を越した鮭は梅雨が上がると干し上がり、皮をはぎ、身を細く切ってお酒をかけて食べられます。これが「酒びたし」です。
鮭はお正月の食膳を飾り、初夏の酒びたしに姿を変え
ここ三面川ではイヨボヤと人々の生活が三面川の流れのように、悠久の昔から営まれてきました。そしてこれからも営まれて行きます。