本文
【長岡】越後長岡百景の「50 昌福寺(長岡)」を紹介します
「越後長岡百景」とは、長岡圏域にある様々な「風景」と、そこに秘められた「人々の想い」を集めたものです。
その百景のひとつに選ばれた「50 昌福寺(長岡)」について紹介します。
「想い」のタイトル
災害殉難者の慰霊塔 8月1日合歓の花咲く下 昌福寺
公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)
「防空壕に避難せよ」を忠実に守ったために、平潟神社268名、神明様140名という多くの犠牲が出ました。そのほとんどは男も女も分からない状態のまま、平潟神社で重ねて荼毘に伏した後、昌福寺に葬られましたが、埋葬の際、人々はその骨の中から肉親の骨として一掴みいただいて持ち帰ったそうです。毎年8月1日の朝の7時には、市内の住職全員で読経があります。戦争を知らない人も集って下さい。
(長岡市在住 80代 男性)
※ 内容は平成16年の応募当時のものです。
百景の想いや場所にまつわる短歌(越後長岡百歌)
草履下駄片々に履き逃げたりき脳裡を去らぬ焼夷弾の雨
※ 内容は平成17年の応募当時のものです。
関連情報
昌福寺
戊辰戦争時下、寺院も軍施設として供用される中で、昌福寺は負傷者を手当てする軍病院として利用されました。その後、戦後間もない明治2年、小林虎三郎が焼失を免れた昌福寺の本堂を借りて学校を開きました。現在、門前には「長岡国漢学校発祥之地」の碑が建っています。寺内には長岡空襲殉難者の慰霊塔と、幕末きっての洋数学者・鵜殿団次郎の墓があります。
関係機関リンク先
- 米百俵の精神:小林虎三郎(長岡市のホームページへリンクします)<外部リンク>
- 鵜殿団次郎(長岡市のホームページへリンクします)<外部リンク>
越後長岡百景位置図
昌福寺(長岡)周辺地図(地図内の赤字番号は、百景の番号)
越後長岡百景位置図(全体地図)[PDFファイル/724KB]
大切な思い出の場所、ありますか?-目をつぶれば、心に浮かぶワンシーン「越後長岡百景」
越後長岡百景は、地域の人々に、その地域の自然や文化、歴史、伝統といったものを題材に、景色・シーンを応募頂き、これにあわせて、「そのシーンに対するタイトルとそこに含まれる想いや情景」、「シーンにまつわる短歌」もお寄せ頂き、それを発信していくことで、地元地域への誇りや愛着心を持って頂くことを目的に、平成15年度から平成17年度に実施した事業です。
このページ中の「「想い」のタイトル」欄、「公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)」欄、「百景の想いや場所にまつわる短歌(越後長岡百歌)」欄は、応募下さった方の「この景色・シーンに込められた想い」を、応募頂いた当時の内容そのままでご紹介しています。
少しずつ変わっていくふるさとのまちなみ。時の流れとともに、見ることのできなくなる百景のシーンもあるかもしれませんが、この場所やこのワンシーンに込められた人々の想いに、心を寄せてみてください。
PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)