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【長岡】越後長岡百景の「72 与板橋(与板)」を紹介します
「越後長岡百景」とは、長岡圏域にある様々な「風景」と、そこに秘められた「人々の想い」を集めたものです。
その百景のひとつに選ばれた「72 与板橋(与板)」について紹介します。
「想い」のタイトル
実家の三島町へ行く時に必ず渡る与板橋
その四季折々の風景 殊に背中で聴いた古里の遠花火
公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)
職住一緒の大家族に嫁いだ私にとって、実家への帰省は楽しみなものでした。その折り必ず渡った与板橋。眼前に開ける西山風景に「帰ったんだ」と嬉しくなりました。逆に婚家へ戻る時は、ことに子供たちが幼かった時代、お盆の最後の晩、古里の遠花火の音を背に、橋を渡るさみしさ。与板橋は「心の架け橋」でもあったようです。父も逝き、母も老健へ入所、大きくなって離れた子供たち。実家は遠くなりましたが、今でも与板橋は古里へつながる第一歩の橋です。
(見附市在住 50代 女性)
※ 内容は平成16年の応募当時のものです。
百景の想いや場所にまつわる短歌(越後長岡百歌)
与板橋に見さくる弥彦の優しくて中州の島は流れを分かつ
※ 内容は平成17年の応募当時のものです。
関連情報
与板橋
明治40年、田中二四朗氏他22名により県会へ与板橋架設建議が提出されました。当時、三島郡と南蒲原郡は、頻繁な物資の輸送や人馬の行き来がありましたが、その間を流れる信濃川によって満足な往来が難しい状況で、それを解消するため、与板橋の建設が必要とされたのです。
明治43年2月の与板橋落成の折りには、盛大な式典も行われました。民家の軒には国旗などが飾られ、地元の商店街も記念品を売り出すなど、当日は荒れた天候にも関わらず、大変な賑わいを見せました。
現在の与板橋は昭和40年に竣工したもので、8連のトラスは両端がピンク色で他は青色と、非常に特徴的な外観をしています。
越後長岡百景位置図
与板橋(与板)周辺地図
越後長岡百景位置図(全体地図)[PDFファイル/724KB]
大切な思い出の場所、ありますか?-目をつぶれば、心に浮かぶワンシーン「越後長岡百景」
越後長岡百景は、地域の人々に、その地域の自然や文化、歴史、伝統といったものを題材に、景色・シーンを応募頂き、これにあわせて、「そのシーンに対するタイトルとそこに含まれる想いや情景」、「シーンにまつわる短歌」もお寄せ頂き、それを発信していくことで、地元地域への誇りや愛着心を持って頂くことを目的に、平成15年度から平成17年度に実施した事業です。
このページ中の「「想い」のタイトル」欄、「公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)」欄、「百景の想いや場所にまつわる短歌(越後長岡百歌)」欄は、応募下さった方の「この景色・シーンに込められた想い」を、応募頂いた当時の内容そのままでご紹介しています。
少しずつ変わっていくふるさとのまちなみ。時の流れとともに、見ることのできなくなる百景のシーンもあるかもしれませんが、この場所やこのワンシーンに込められた人々の想いに、心を寄せてみてください。
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