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【長岡】越後長岡百景の「82 蔵王堂城址(長岡)」を紹介します

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0053446 更新日:2019年3月29日更新

 「越後長岡百景」とは、長岡圏域にある様々な「風景」と、そこに秘められた「人々の想い」を集めたものです。
 その百景のひとつに選ばれた「82 蔵王堂城址(長岡)」について紹介します。

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「想い」のタイトル

 長岡発祥の地。中世をしのぶ蔵王堂城址は心のふるさと

公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)

公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)の画像

 学生の頃からこの蔵王城址は、私の心をしっかりととらえて忘れることのできない場所となりました。市街地にありながら、街の喧騒をシャットアウトしたような静寂、こんもりとした樹木に囲まれた土塁と掘の一部がひっそりと残っており、その雰囲気が何とも魅力的で一人で心静かにひとときを過ごすには恰好の場所といえます。土塁山頂には、最後の城主となった掘直寄の銅像が長岡の街を見守っています。
(長岡市在住 60代 男性)
※ 内容は平成16年の応募当時のものです。

百景の想いや場所にまつわる短歌(越後長岡百歌)

 その上の人の声とも城址に立てば聞こゆる低き虫の音
 ※ 内容は平成17年の応募当時のものです。

関連情報

蔵王堂城
 蔵王の地は、鎌倉時代に蔵王大権現を迎えると門前町として栄えました。南北朝時代には、中越地方の中心地として南北両朝軍の争奪の場となりました。やがて越後守護職上杉氏の重臣、古志長尾氏が蔵王堂の傍らに城を築き、この地方を支配しました。これが蔵王堂城です。慶長年間には堀親良や直竒の居城となり、1618年(元和4年)に長岡城の築城により廃城になりました。
 現在残っている城跡は本丸、二の丸を中心とした土塁・濠跡などで、中世豪族の居館や長岡発祥期の城跡を示す貴重なものとして、長岡市の文化財に指定され、周辺の住民によって整備されています。

関係機関リンク先

金峯神社(長岡市のホームページへリンクします)<外部リンク>

越後長岡百景位置図

周辺地図の画像
周辺地図

越後長岡百景位置図(全体地図)[PDFファイル/724KB]


大切な思い出の場所、ありますか?-目をつぶれば、心に浮かぶワンシーン「越後長岡百景」

 越後長岡百景は、地域の人々に、その地域の自然や文化、歴史、伝統といったものを題材に、景色・シーンを応募頂き、これにあわせて、「そのシーンに対するタイトルとそこに含まれる想いや情景」、「シーンにまつわる短歌」もお寄せ頂き、それを発信していくことで、地元地域への誇りや愛着心を持って頂くことを目的に、平成15年度から平成17年度に実施した事業です。
 このページ中の「「想い」のタイトル」欄、「公募でよせられた想い・情景(越後長岡百景)」欄、「百景の想いや場所にまつわる短歌(越後長岡百歌)」欄は、応募下さった方の「この景色・シーンに込められた想い」を、応募頂いた当時の内容そのままでご紹介しています。
 少しずつ変わっていくふるさとのまちなみ。時の流れとともに、見ることのできなくなる百景のシーンもあるかもしれませんが、この場所やこのワンシーンに込められた人々の想いに、心を寄せてみてください。

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