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34 大森子陽の墓
概要・良寛とのゆかり
大森子陽は良寛が少年時代に学んだ漢学の塾・三峰館の師。寺泊の当新田に大森子陽の墓がある。
墓標の傍らには師への思いを綴った良寛の詩碑がある。
大森子陽は寺泊当新田の万福寺に生まれた。23歳で江戸に出て、荻生徂徠学派の滝鶴台に学び、後に北越四大儒の一人といわれた。
27歳の時に越後へ戻り、地蔵堂で狭川塾(三峰館)を開いた。途中、江戸に再び遊学して塾を閉めていたが、帰国して再開した。
文孝時代の良寛が17歳までの合計6年間をここで学んだという。
良寛が円通寺から戻った時には、鶴岡に行っていた子陽は彼の地で亡くなっており、遺骨は大森家と共に建てられた墓の中に納められていた。
師の墓を訪ねた良寛は、墓前を去るに忍びなく涕涙した。この時詠んだ子陽先生を弔うの漢詩は有名である。
鶴岡には大森子陽の鬚髪碑がある。
全景写真
大森子陽の墓の全景写真
詩歌碑・像
良寛詩碑(子陽先生の墓を弔う)