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47 解良家
概要・良寛とのゆかり
村上藩の庄屋役を代々務めた家系。十代解良叔問は漢学、和歌に優れていた。良寛は彼を「当代一の善人」と評し、
たびたび牧ヶ花の解良家を訪問するなど、親交があった。
ひびの入った鍋蓋を見て、良寛はそれを拾って「心月輪」の3文字を書いた。
十三代解良栄重は「良寛禅師奇話」を書き残した。
門前に良寛の句碑がある。個人宅。
逸話
がんかもは 我を見捨て 去りにけり
とうふに羽子の なきがうれしき
12月になると、家族が無事に過ごせてよかったということで、家々では小さい法事をとりおこなう風習があった。良寛があるとき、招かれていった先でお膳が出たが、良寛のところにも手違いで他の人と同じお膳が出て来た。お膳の中には鶏肉などが入っており、良寛が「今日は御馳走だ」とほくそ笑んでいたら、間違いに気づいた給仕の人が精進料理に替えてしまったのである。
全景写真
詩歌碑・像
良寛句碑(柴焼いて):平成3年(1991)建立。良寛の里づくり事業で建てられたもの。
解良叔問に宛てたとおもわれる手紙の末尾にある俳句。