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60 弟由之隠栖遺跡
概要・良寛とのゆかり
良寛の出家後、父・以南の後を継いで出雲崎町の名主になった弟・由之は、敦賀屋と争い、家運挽回の為に無理をして町民と訴訟問題を起こすが、ついには家財没収、所払いとなってしまう。
由之は、出雲崎を所払いとなったのち、各地転々をしたが、65歳で与板に移住(文政9年)。
亡くなる73歳頃までの晩年を与板で隠栖した。兄良寛を看取ってより3年目の天保5年死去。
仲町のバス停側の駐輪場が扇屋中川家分家跡地にあたる。扇屋は与板藩の御用商人であった。
道を挟んで向かいに良寛の弟由之が隠居所として伏屋を建てて一時住んでいた跡があり、由之の歌碑がある。
全景写真
詩歌碑・像
由之歌碑(身ひとつは):昭和42年、与板町観光協会建碑、筆者 橘由之(八重菊日記)
良寛の死後、由之は出雲崎に居たが、その庵の荒廃如何にすべしとの与板の岩子(おそらく中川家の女)からの問い合わせに返歌したものである。