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66 和泉屋山田家跡
概要・良寛とのゆかり
和泉屋山田家は、与板(新潟県長岡市)の町年寄で、酒造業を営んでいた。良寛と親交が深かったのは、山田家九代太郎兵衛重翰。
俳諧や絵を愛した。杜皐(とこう)は号。山田杜皐は、天保15年(1844)1月16日、71歳で死去。良寛より16歳年少。蓮正寺に山田杜皐の墓がある。
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。という三条地震の見舞いの手紙は、山田杜皐あてのものである。
良寛は、酒造家の山田家に度々訪れて酒を飲ませてもらっていた。山田家では夕方になると決まったように酒を無心にくる良寛を、「ホタル」と呼んでいた。その様子が伝わる歌が残っている。