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82 妙徳寺
概要・良寛とのゆかり
和銅年間開基の真言宗の古刹。創建は和銅2年(709)泰澄大師が諸国行脚の折、この地を訪れ、霊地として自ら彫り込んだ文殊菩薩尊像を安置したのが始まりと伝えられる。
戊辰戦争の戦火で焼失。現在の本堂は大正7年(1918)に再建されたもの。
良寛の法弟となり、身の周りの世話をした遍澄法師の墓(後に頌徳碑に再建)が境内にある。
遍澄は享和元年(1801)島崎の鍛冶屋甚五右衛門の長男として生まれた。幼少にして島崎の妙徳寺に上り、読み書きを習い僧となった。文化13年(1816)に国上山の五合庵を訪ね、願って法弟となり、良寛の身の回りの世話をされたといわれる。地蔵堂町の願王閣主になるにあたり、木村家に依頼して良寛の世話を願ったともされる。また、良寛は臨終の際に遍澄の膝を枕に遷化されたといわれる。
良寛の没後に貞心尼とともに良寛の詩歌を収集して残した。島崎有志の協力で頌徳碑が妙徳寺境内に建立された。
全景写真
詩歌碑・像
遍澄法師頌徳碑 建碑:昭和35年8月。筆者山田鏡阿
関係機関リンク先
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