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良寛と法弟
日時:令和4年11月5日(土)
会場:柏崎市立博物館 小ホール
講師:和島良寛会会長 羽鳥 仁一氏
講演タイトル:良寛と法弟
会場の柏崎市立博物館
左):会場様子 右):講師の羽鳥仁一氏
出雲崎町会場を皮切りに始まった「長岡市・出雲崎町・柏崎市連携リレー講演会」。今回は柏崎会場の柏崎市立博物館にて行われ、和島良寛会会長羽鳥 仁一氏が講師を務めました。
講演会開催には柏崎市立博物館館長からのご挨拶があり、今回のリレー講演会と館内の企画展示と併せて、貞心尼について理解を深めてもらい、良寛と貞心尼の魅力を再発見してもらいたいとお言葉を頂きました。
講演は、良寛の身辺や薪水の世話を行った人物である遍澄(へんちょう)と、良寛と親交を深めた鈴木文臺(すずきぶんたい)に焦点をあてた内容でした。
遍澄については、15歳の折、五合庵へ良寛を訪ね弟子入りを願い出たのち、良寛の詩歌を学び、仏道を体現し、良寛の知己とも親しく交際をしたとのこと。文政9年には地蔵堂の人びとの懇願により願王閣へと移り住むこととなり、至誠庵で塾を開き子供たちに手習いを教えたそうです。
鈴木文臺は僧籍には入ることはなかったが、18歳で良寛と出会ってから親交を深め、その後は粟生津村に「長善館」を開き、長谷川泰や大竹貫一などの門下生を輩出した人物であると話がありました。文臺は良寛の墓碑に刻まれた詩「僧伽(そうぎゃ)」を選んだ人物であり、選んだ理由については良寛の遺言としたかったためではないかと話され、「僧伽」の意味や内容についてもご説明がありました。
また、貞心尼の「良寛道人遺稿」や相馬御風によって出版された林甕雄(はやしみかお)「良寛禅師歌集」には、遍澄による手助けや鈴木文臺の協力を得て作られたとの話もあり、二人が貞心尼と気持ちを同じくして、良寛を後世に伝えようとしていたとのことです。
今回の講演内容は貞心尼以外の弟子について知ることが出来る機会でもあり、遍澄と文臺が貞心尼と共に良寛を後世に伝えようと尽力していたことがわかる内容でした。講演会に参加された方は、羽鳥氏の講演に耳を傾けながら資料を追い、時折、頷く場面も見受けられました。
企画展「没後150年 貞心尼と魅せられた人びと」チラシ
講演終了後は、希望者を募り「没後150年 貞心尼と魅せられた人びと」の企画展の観覧が行なわれました。
柏崎市立博物館学芸員の池田氏がガイドを務め、展示内容についての説明を受けながら企画展を見て回りました。ガイド終了後も、多くの参加者が二度三度と展示物を熱心に見られていました。