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【新発田】水をめぐる歴史ガイド

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0058233 更新日:2019年3月29日更新

正保越後国絵図(北蒲原地域拡大版) の画像
正保越後国絵図(北蒲原地域拡大版)

(新発田市立図書館所蔵 県指定文化財)慶長3年(1598年)

新発田藩主 溝口秀勝候が加賀国から新発田に入封された頃、この北蒲原地域は現在とは全く違う姿をしていました。
上の図は『正保越後国絵図』といい、当時のものには越後国全域が描かれており、村の名前と石高が書かれています。現在残っているものは、越後の諸藩が描いた下絵をもとに、高田藩がまとめて幕府に提出したものの写しです。

この時代の北蒲原地域は、信濃川から荒川までの間に、海に注ぐ川が1本も無く、海岸線には砂丘が連なっていました。内陸には大小の潟湖が点在し、雪解けや梅雨の時期になると、きまって川や潟湖が氾濫しました。そのあとには、水辺の植物である「蒲」が生い茂るため、北蒲原地域一帯は「水沼の蒲原」と呼ばれる湿地帯だったのです。

この水はけの悪い土地が、現在のように美田が広がり、多くの人が暮らす地域へと発展した背景には、いったいどんな先人たちの苦労があったのでしょうか。私たちの北蒲原地域を子孫に引き継いでいくためには、何をしていく必要があるのか、皆さんと一緒に考えていきたいと思い、パンフレットを作りました。

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