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統計データハンドブック(平成15年) 沿革
原始・古代
本県の信濃川や五十嵐川上流の段丘、五頭山麓などに、すでに1万数千年前から人びとが暮らし、縄文時代の終わり頃には、平野や海岸まで旺盛に生活舞台を進展させていた。弥生時代に新しい農耕技術が入り、蒲原や頸城の沖積平野に米づくりが始まるが、5世紀に入るとその生産力を背景として各地に豪族が小国家を形成するようになる。
大和政権の勢力が北上し、7世紀後半には阿賀野川以南までその支配が及び、8世紀初め今日の県域に当たる越後、佐渡両国が成立した。新しい律令体制の下で国領、荘園の開発が積極的に進められ、越後、佐渡の貢租を都へ輸送するための官道や港津が整えられ、蒲原津は日本海側屈指の国津となった。
中世
南北朝動乱後は守護上杉氏の統治が始まるが、戦国時代に実権が長尾氏に移り、為景、謙信、景勝3代にわたり北陸最強の戦国大名として雄飛した。天下を握った豊臣秀吉は上杉氏を会津へ転封して、堀氏に替えた。
近世
徳川家康はその子松平忠輝を高田に置き北陸の藩屏とした。江戸時代、越後の半分と佐渡は幕府が直轄し、他は高田以下11の中小藩が治めたが、幕府の佐渡金山経営を初め新田開発、治水、地方産業の振興、日本海を回遊する北前船の全盛などに見るべきものがあった。
近代
幕末、戊辰戦争を経て、明治4年の廃藩置県を迎え、数度の統廃合を経て明治9年に新潟県が誕生し、同19年に福島県に属していた東蒲原郡を編入して現在の新潟県の姿になった(「藩・県の変遷」参照)。明治22年市町村制の施行により1市46町769村となった。
現代
町村合併促進法施行前の昭和28年には、7市51町326村であったが、町村合併の結果、昭和34年には20市47町57村となった(平成15年4月1日現在、20市56町35村の計111市町村)。
近年
立県100年余、広大な県土と県民の不屈の努力により、着実な発展を遂げてきたが、上越新幹線、関越自動車道、北陸自動車道及び磐越自動車道の開通により高速交通体系が整備され、また新潟空港の2,500m化等により、国内外との交流を一層深めている。今後は、「日本海大交流」の拠点として更なる発展を目指し、21世紀が本県にとって輝かしい時代となるよう積極的な県政の展開を図っている。
県政の施策体系
「いきいき・ひとづくり」・「ゆうゆう・くらしづくり」・「のびのび・活力づくり」