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今回ご紹介するのは、糸魚川市にある株式会社「清耕園ファーム」社員として農業に務める傍ら、市民団体「まちづくりらぼ」でのまちづくり活動や、横井さんを含む20代のUターン者3名による「つなぐKitchen Project」で食育イベントの企画運営に取り組む横井 藍(よこい あい)さんです。
第20回地域づくり人 横井 藍さん
糸魚川市下早川地区出身の横井さん。進学を機に茨城へ移り住んだものの、その後糸魚川へUターンし、現在はご実家で営む「清耕園ファーム」に勤めています。
―なぜ進学先として茨城を選んだのでしょうか。
実は茨城にこだわりがあったわけではなく、とにかく地元を出たい、遠くに行きたいという一心で進学先を選びました。当時は「糸魚川は遊ぶところも少ないし、何もできない」と思っていて、地元があまり好きではなかったんです。また、実家が農家なのですが、その跡を継ぎたくない、という反発心もありました。
―卒業後はどのようなお仕事をされていたのですか?
卒業後も茨城県に留まり、県内の農業法人に就職して売上管理などの一般事務や併設する直売所での接客をしていました。また、農産物の生産、販売に加え、自社の生産物を活用した田植えや収穫などの体験型イベントの企画・運営もしていました。
―農産物の生産販売に留まらず、会社として体験型イベントまで運営されていたのですか。
特に、田植え体験イベントは300人ほどの集客があり、農業系の体験イベントでここまで大規模な企画ができるのか、と衝撃を受けました。私が知る限り、当時の糸魚川でそのような催しを開催する農業団体はいませんでしたし、同規模の農業体験イベントを開催するところは少なかったと思います。
―その後農業法人を退職し、Uターンされたとのことですが、糸魚川に戻ろうと決めたきっかけは何ですか?
農業法人での仕事はとてもやりがいを感じていたのですが、ある時同僚の退職や休業が立て続けに起き、職場環境が一気に変わった時期がありました。もともと人と話すのが好きだったのですが、来てくれたお客さんの前で余裕のない姿を見せてしまったことがあり、「このままではだめだ、とにかく環境を変えなければ!」と強く思ったことがきっかけです。農業法人での経験が活かせるかなと思い、実家に戻り引き続き農業に携わることに決めました。
―糸魚川に戻ってからはどのように過ごされていたのでしょうか。
実家の「清耕園ファーム」は農産物の生産、販売を行う、いわゆる普通の農家なので、農作業を一から覚え直していました。加えて、糸魚川にどんな企業があるのか、どんな人がいるのか何も知らないし、逆に私のことを知っている人もほとんどいない状況でしたので、とにかく知り合いを増やそうとしていました。幸いにも、糸魚川市には「糸魚川なりわいネットワーク」という糸魚川市の農林水産業、商工業関係団体などから構成される異業種連携の団体があったので、その団体の集まりに参加し、徐々に知り合いを増やしていきました。
―現在はお仕事の傍ら、まちづくり活動にも取り組まれているとのことですが、何がきっかけでまちづくり活動を始めたのでしょうか。
何か大志を抱いてUターンした訳ではなかったのですが、私の中で唯一、「茨城でやっていたような食育イベントをしたい」という思いだけは持っていました。ただ、一人で企画や運営はさすがにできず、ずっと思いだけ抱えてモヤモヤしていました。そんな日々を過ごしていたら、ある時市民団体「まちづくりらぼ」の立ち上げに関わることになり、それがきっかけで今につながっています。
―どのような経緯で「まちづくりらぼ」設立に携わったのですか?
まず、「まちづくりらぼ」立ち上げ人である、野村祐太さんとの出会いから説明しますね。ある日「糸魚川なりわいネットワーク」で知り合いになった企業の方から懇親会に誘われて行ったところ、偶然野村さんも同席していたのです。その場では名刺交換くらいで、その後も数回会った程度だったのですが、その後野村さんからいきなり「団体を立ち上げるために署名が必要だから名前と住所を教えて」と連絡が来ました。すごくびっくりして、最初はあやしい人なんじゃないか!?と思いましたが、よく理由を聞くと、(2016年の)糸魚川市駅北大火で被害を受けた駅前商店街ににぎわいを取り戻すための市民団体を立ち上げたいというお話で。そういうことならぜひ、と署名し、「まちづくりらぼ」立ち上げメンバーとなりました。
―「まちづくりらぼ」はどのような団体なのでしょうか。
「まちづくりらぼ」は、「糸魚川を、1人ひとりが「やりたい」を実現できるマチ、それを楽しめる”ナカマ”がいるマチにする」を目指し、「若者・子育て世代」などに関する取組の企画をメインに活動する団体です。
設立当初のメンバーは20~30代の若手U・Iターン者8人で、全員が「糸魚川で何かやりたい」という夢を持って糸魚川へ戻ってきたメンバーでした。面白いことに、そのような強い思いを持った者同士で話し合うと、あれもやりたい、これもやりたいとアイディアがどんどん出てくるのです。また「まちづくりらぼ」の良いところは、誰かがやりたいことに対して反対意見を言う人がいないところ。誰かのアイディアに対して、否定ではなく「じゃあどうすれば実現できるのか?」と「やる」前提で議論が進み、本当にアイディアが実現してしまうのです。
―具体的にはどのような活動をしているのでしょうか。
糸魚川市駅北大火の被害を受けた商店街に明かりを灯したい、という目的で「復興イルミネーション」をするなど、大火からの復興やまちのにぎわいづくりをしています。活動を続けるうちに、自然と「まちづくりらぼ」を中心としたメンバーで新しくグループを組んだり、新規のプロジェクトを立ち上げたりといった動きが出てきていて、活動の幅がどんどん広がってきています。
そのような動きの中から生まれた活動の一つに、私もメンバーである「つなぐKitchen Project」があります。
「つなぐKitchen Project」メンバー
―「つなぐKitchen Project」はどんな経緯で立ち上がったのですか?
市情報誌の、若手Uターン者を対象としたインタビュー企画がきっかけです。私含め3人同時にインタビューを受けたのですが、3人ともほぼ初対面という面々でした。ところが、お互いの話を聞くとそれぞれが「糸魚川でこんなことがやりたい」という思いを秘めていたのが分かったのです。私は食育イベントをやりたいと思っていましたし、一人はレストランの料理長で、糸魚川の食材を使った料理を作りたいという思いを持っていて、もう一人は地元のまちづくりに携わりたくて糸魚川に戻ってきた、熱い思いを持った人でした。その彼は、大学で地域創造学を専攻したほか、学生NPOを立ち上げ、まちづくりに取り組んでいて、企画が得意という長所を併せ持っていたのです。
それぞれの思いやスキルが共有された結果、3人で力を合わせれば新しいイベントができるのではないかと話が膨らみ、本当に実現したのが「つなぐKitchen Project」です。
―すごい。一気に話が進みましたね。
「つなぐKitchen Project」が立ち上がったのが、「まちづくりらぼ」結成の半年後だったので、めまぐるしいスピードでやりたいことが叶っていきました。「つなぐKitchen Project」でずっとやりたいと思っていたことができて、「糸魚川に帰ってきてよかったな、糸魚川って楽しいな」と強く実感しました。
―「つなぐKitchen Project」ではどのようなイベントを行っているのですか?
親子を対象にした食育イベントを企画、運営しています。1年目は「ピザまつり」という食育イベントを開催しました。じゃがいも掘り体験をし、収穫した野菜を使ってピザを調理し食べる親子向けの企画です。2年目は夏の「ピザまつり」に加えて秋に「イモまつり」を開催しました。どちらのイベントも野菜の収穫と調理を通じて、野菜がどのようにできているのか五感で味わってもらう内容です。各回10家族30人ほどの参加があり、どの回も参加者の方々の喜ぶ顔をたくさん見ることができました。
―イベントの反響はどうでしたか?
ありがたいことに各メディアから取材の申込みをいただいて、市の情報誌や新聞などで「つなぐKitchen Project」の取組を紹介してもらう機会が多くありました。また意外な反響として、市内の小中学校の先生から、キャリア教育の授業で今の仕事や「つなぐKitchen Project」での活動を話してくれと依頼されたこともありました。各地で私たちの活動を紹介する機会に恵まれて、団体として興味を持ってもらえているのかなと感じます。
授業の様子(写真左が横井さん)
―様々な反響を受ける中で、印象的だったことはありますか?
ある取材中に、インタビュアーの方から「こんなに様々な業種の人たちが集まってイベントを企画、運営するのは珍しいね」と言われたことがありました。農業イベントなら普通は農業関係者が主体になるけど、各業界の人間が主になって連携することはあまりないよ、と。人から指摘されて初めて、自分たちのしていることは外からこう見えているのか、と気付くことができました。
今まで、ただ自分たちがやりたいことをやっているだけ、という気持ちだったのですが、過去にあまり例のない取組ができて、糸魚川のまちのために価値のあることをできているのかな、自分たちの取組が誰かの心に刺さっているのかもしれない、と嬉しく思いました。
―「つなぐKitchen Project」というプロジェクト名には、どのような思いが込められているのでしょうか。
私たちの活動は「食育」がテーマであり、メインターゲットは親子世代なのですが、親子に限らず「食を通じて『人』と『人』、『人』と『場所』をつないでいきたい」という気持ちがあり、「つなぐKitchen Project」と名付けました。
―「つなぐKitchen Project」を通じて伝えたいメッセージはありますか?
「糸魚川は何もないし、何もできない」と思っている人に、「やろうと思えば、糸魚川でも案外やりたいことができる」ということを知ってほしいです。それを知ることで糸魚川に戻るきっかけにはならなくても良いけれど、行動さえ起こせば糸魚川でも楽しいことができるんだよ、とみんなに伝えたい。
私たちの活動をSNSで発信すると、友人たちから良い反応が寄せられますし、発信を続けるうちに、糸魚川にいないけど何か協力できないか?と申し出てくれる人が現れたことがあって、糸魚川のまちを盛り上げる気運がどんどん周りに波及していくのを感じています。
「つなぐKitchen Project」での活動は今後も続けていきたいですが、加えて誰かの「やりたい」気持ちを後押しすることができたらもっと嬉しいです。
「イモまつり」の様子
―まちづくり活動を続けているモチベーションは何ですか?
一番は自分が楽しいと思ったことをやる、ということです。「つなぐKitchen Project」も「まちづくりらぼ」の活動も、ただ楽しいから続けています。また、人に喜んでもらうとやはり嬉しく感じるもので、イベントに来てもらった人たちの笑顔が大きな原動力になっています。イベントの事前準備で大変な時はあるけれど、来てくれた人が喜んでいる様子を見ると、それまでの苦労は吹き飛んでしまいます。特に、子どもたちの笑顔を見ると達成感を感じますね。子どもたちは喜怒哀楽を素直に表に出すので、彼らの笑顔を見ると、今後も活動を続けていきたいな、と私も素直に思わされます。
―今後の展望をおしえてください。
現在、「つなぐKitchen Project」の活動は、下早川地区にある清耕園ファームで開催していますが、活動場所を糸魚川市内全体に広げていきたいなと思っています。またイベント内容も「食育」というコンセプトは変えずに、新しい企画をしたいですね。
また「つなぐKitchen Project」の活動は、ありがたいことに様々なメディアで取り上げられてはきましたが、まだまだ認知度は低いです。今は自前で企画、運営していますが、ゆくゆくは他団体からイベントの企画を依頼されるようになりたい。「食育イベントといえば『つなぐKitchen Project』だよね」と言われるくらいまで認知度を高めていきたいです。