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【佐渡】いいねかっちゃ佐渡 ~相川音頭あれこれ曼荼羅~

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0563068 更新日:2023年3月7日更新
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​【第9回】いいねかっちゃ佐渡 ~相川音頭あれこれ曼荼羅~

 佐渡島民なら大概の方が聞いたことがあると思われる相川音頭。その歌詞に関するいろいろな話題をお届けしたいと思います。その歌詞といえば作者が源平盛衰記に取材したという「源平軍談」があまりに有名で、歌詞冒頭の「どっと笑うて~立つ浪風の~」は佐渡の皆さんの耳にはよく馴染んでいることと思います。ほとんどの歌詞は江戸の中期以降にできたようですが、調べてみると、相川音頭には、今ではほとんど唄われることのない、様々な歌詞があることが分かりました。

1 「どっと笑うて立つ浪風の~」だけではない様々な相川音頭の歌詞

 相川音頭にはどのような歌詞があるのか、『佐渡相川郷土歴史辞典』で調べてみると、本間寅雄氏の解説で、次のような歌詞があることがわかりました。

(1)「謡曲百番くづし」や「源平軍談」などの古典趣味的なもの

(2)お上の掟(倹約令)や地震・地名など、時事に託したもの

(3)現実に佐渡で起った男女の相対死(心中)を扱った心中口説き節

 さらに、山本修之助編著の『相川音頭全集』という昭和50年に発行された本には約40ほどの歌詞が載せられていました。約半数の20が(3)の心中口説き節でした。そして、現在唄われ、踊られているのは上記(1)の「源平軍談」がほとんどで、ごくまれに(3)の心中物が唄われることがあることも関係者への取材で知ることができました。

相川音頭全集の画像
山本修之助編著 『相川音頭全集』

2 民謡団体「Loveあいかわ・佐渡」突撃インタビュー

 現在活動している民謡団体の方に、まずは相川音頭をどのように継承しているのか、状況をお聞きしました。お訪ねしたのは「Loveあいかわ・佐渡」さんです。平成17(2005)年に結成された、今年で18年目になる女性会員12名の団体で、代表の弾正成子さんにお話をしていただきました。

〇質問 民謡を始めたきっかけは何ですか?

 別の民謡団体で地方(じかた:唄と演奏担当)の練習に参加させていただいたのがきっかけです。佐渡民謡には唄と三味線、笛、太鼓等などの楽器が必要となります。踊りも地方も奥が深いと感じました。

〇質問 好きな民謡や練習してみたい民謡はありますか?

 好きな民謡はやはり地元の相川音頭が好きです。歌詞は源平軍談だけでやっています。

 練習してみたい民謡ですが、Loveあいかわ・佐渡で練習している民謡は「相川音頭」、「佐渡おけさ」、「相川甚句」の三曲ですが、まだまだ未熟と思っています。他の曲よりもまずは今練習している民謡をマスターしたいと思っています。

〇質問 自分が思う民謡の魅力とは?

 佐渡に根付いている情緒ある伝統芸能であり、子供から大人まで楽しめるものだと思います。例えば佐渡おけさは盆踊りとして親しまれている民謡で、輪になって皆一つになって踊れることが魅力だと感じます。

佐渡おけさの写真 相川音頭の写真
   ↑相川芸能祭(佐渡おけさ)           ↑相川芸能祭(相川音頭)


宵乃舞の写真1 宵乃舞の写真3 
    宵乃舞(佐渡奉行所)         宵乃舞(相川音頭 京町通り)​

〇質問 これから民謡について期待することは?

 佐渡の民謡は数々ありますが、その代表的な佐渡おけさは日本を代表する民謡の一つだと思います。基本的なおけさ踊りを絶やさないように伝承していきたいです。佐渡おけさや相川音頭などを小さな子供たちにも教えてあげるような機会を増やしてくことが必要だと思います。(以上回答は弾正成子さん)


 「Loveあいかわ・佐渡」さんは相川音頭だけでなく佐渡民謡の伝統の灯を絶やさないよう佐渡おけさ、相川甚句も稽古されているのでした。鉱山祭り、宵乃舞、新潟まつりなどに参加して、腕を磨きつつ地域の盛り上げに貢献されています。我々佐渡地域振興局職員の踊りの指導でもたいへんお世話になっています。今後ますますのご発展をお祈りします。

3 実際に踊りのレッスンを受けてみた。

 メンバーの早福が短期入門して相川音頭を学んできました。そのレポートです。


 佐渡に赴任し3年目となり、振興局チームで3年連続宵乃舞に参加させていただいている私は、さらに踊りに磨きをかけるべく、Loveあいかわ・佐渡の皆さんを指導している磯西先生に、相川音頭や佐渡おけさについて、一緒に踊りながら教えてもらいました。(早福)

磯西先生のワンポイントアドバイス

磯西先生レクチャー写真(1)

 磯西先生「指先に力を入れると、指が少しだけ反る。これを常にキープし、手が伸びるところでは特に意識しましょう。(この曲線が美しいのです!)」

 早福「細かなところを徹底するから上手な人の踊りはあんなにきれいに見えるのですね!でもずっと力を入れてると指が攣りそうです……苦笑」


磯西先生レクチャー写真2

磯西先生「佐渡おけさの一番の見せ場は、16足の、みっつ~よっつのところ、ここを美しく流せるよう練習しましょう。佐渡おけさは動きが止まることがなく、常に必ず動いているんです。」

早福「えっ!!そうだったんですか!?!?」

磯西先生「そうなんです(笑)。動きが止まることがないのに加え、実はすべての動きは曲線で、直線の動きはないんですよ。」

早福「えっ!!そうだったんですか!?!?(2回目)」

磯西先生「そうなんです(笑)。このゆっくりですが止まらない動きと、曲線の動きが、美しく見せるポイントです。」

早福「そうなんですね!なぜ我々初心者の踊りが初心者っぽく、上手な人の踊りがあんなに美しいのか分かった気がします!」


 そして折角の機会なので構えだけでも…!とお願いし、Loveあいかわ・佐渡の弾正さんと、振興局職員であり、子どもの頃から佐渡民謡に親しんできた若林さんに、三味線の弾き方も少しだけ教えていただきました。

三味線レクチャー写真

弾正さん「三味線を寝かせずしっかり立てて、そこに手首を合わせましょう。」

早福「こんなに手首曲がらないです(汗)、構えるだけで疲れちゃいますね……」

弾正さん「折角撮ってもらうんだから、かっこいい構えで撮ってもらわないと!(笑)」


 構えるだけでまさかここまで大変とは…。美しい演奏をするのは、大変な練習が必要なのがうかがえました。
 踊りと同じく、地方(じかた:唄と演奏担当)にも奥深さがあるようです。宵乃舞の際、振興局チームの地方をやってくださっている佐渡民謡協会の皆様の有り難さを感じました。

レッスンを終えて

 私のイメージする踊りは、シュン!と動き、バシッ!と止まる、という感じで、静と動をいかに表現できるか、がカギだと思っていました。しかし、今回磯西先生からいただいたアドバイスは、それとは反対の、ゆっくりと、しなやかで、曲線的で、女性的な、いわゆる、「たおやかさ」なるものではないかと感じました。

 神は細部に宿るといいますが、上手な人の相川音頭、佐渡おけさには、その一挙手一投足に、神が宿っていたのです。ここに振興局とほかの団体との差があったのか……!。

 次回の振興局の宵乃舞は、例年よりグッとレベルアップしているかもしれません。ぜひ、楽しみにしていただければと思います。

 教えていただいた磯西先生、弾正さん、そして若林君、大変ありがとうございました!

 今回のレッスンのおかげで、これからお話しする相川音頭の歴史の奥深さと同じように、踊り自体にも、大変な奥深さがあるのだと身をもって知ることができました。

4 相川音頭の起源は心中口説き節だった 

 郷土史をひもといてみたところ、江戸時代の相川の盆踊りでは、幕末の天保の改革で倹約令や派手な風俗の取り締まりにより禁じられるまでは、心中口説き節が唄われ、踊られていたことが分かりました。

 享保5(1720)年に近松門左衛門の人形浄瑠璃「心中天の網島」が大阪の「竹本座」で上演されて喝采を浴びると、上方(関西地方)で男女心中が流行り、3年後に佐渡において心中事件が起きました。その実話を元に「伊右エ門、おはつ・心中紫鹿の子(しんじゅうむらさきかのこ)」と題された心中口説き節として相川の人の手で歌物語が作られ、それは大ヒットし、人々はそれを町の盆踊りで唄い、踊りました。歌詞の全段を唄うと1時間もかかる長編歌物語なのでした。

 この心中は記録に残る最初のもので、その後約140年間の間に14件の心中が記録され、それらを題材にした心中口説き節の傑作が次々と作られることとなります。

 徳川吉宗の時代に、「心中」という言葉は「忠」の字に紛らわしいとして「相対死」と改めさせ、世の退廃の大きい原因だとして、心中した二人の死骸は取捨て、弔ってはならないと厳罰をもって対応することとなりました。

 しかし人々は厳しい身分制のもとで、現世では結ばれない二人が来世に託した思いに同情し、共感を示しました。磯部欣三は、佐渡芸能史(上)で、ここにあらたな町人文化の台頭が見られると述べています。

 明治32年に来島した小説家尾崎紅葉は佐渡民謡の中でも、心中節について近松門左衛門に手法を学んだ跡も見えてすばらしいものだと絶賛しています。佐渡の音頭本を手書きしたものが相川羽田町の中津屋で大正の頃まで売られていたそうで、紅葉はそれを入手し、著書『佐渡ぶり』で紹介しました。

中津屋のあったあたりの写真 大安寺山門の写真
↑手書きの「音頭本」が売られていた      ↑大安寺 弘化4(1847)年没
 中津屋があったあたり             相川音頭の作者の一人と言われる
                        中川赤水の墓のある大安寺山門

中川赤水の写真 水野君遺愛之碑の写真
 ↑相川音頭作者中川赤水の墓       ↑水野君遺愛之碑(赤水墓所)
  (大安寺山門脇)


 佐渡相川郷土史辞典によると、化政期の佐渡奉行水野藤右衛門は石井文海などとともにその時期の文化を担った中川赤水の才覚をほめて本途床屋銀見職に登用した、その故事に関連して建てられたものだろうとのことです。天保の改革で心中節が奉行所によって禁止される前は、心中節の作家が奉行によって登用されていたことがわかります。

伊右衛門、おはつの墓の写真

↑享保8(1723)年 法久寺 商人伜伊右衛門(23)人妻はつ(31)の墓
 相川口説き「伊右衛門、おはつ・心中紫鹿の子」にうたわれました。

紺屋伜庄吉、人妻さんの墓
↑宝暦6(1756)年 大竜寺(廃寺)紺屋伜庄吉(31)人妻さん(17)の墓
 相川口説き「おさんせんじろう・心中濃茶染」でうたわれました。

下男虎吉、遊女柳川の墓
↑本興寺 安政5(1858)年 武家下男虎吉(24)遊女柳川(20)の墓
 相川口説き「新版、真情落つる松の葉」にうたわれました。

5 宵乃舞で毎年、古調相川音頭(心中口説き節)を披露する団体を取材!

 宵乃之舞実行委員会に連絡して、心中口説き節で出演する団体である、稲鯨の「七浦民謡研究会」を紹介いただきました。第17回(2018年)の京町音頭流し宵乃舞では、次のように七浦民謡研究会が紹介されています。

 「演目は『おさん仙次郎心中濃茶染(しんじゅうこいちゃそめ)』です。上方文化を伝えるこの作品は、明治32年来島した尾崎紅葉も、近松門左衛門の作風と文芸誌に紹介しています。私達は江戸期に時代の犠牲となった相川の若者の恋を、華麗な表現で書き表した作者を偲びつつ、作品に流れる鎮魂の心を、端縫いの着物によせて『京町音頭流し』とさせていただきます。」

七浦民謡研究会の写真七浦民謡研究会の写真2
    ↑京町通の寺鐘楼あたり

七浦民謡研究会の写真3

代表の岩﨑文枝さんにお話をお聞きしました。

 七浦民謡研究会は平成11(1999)年に設立されました。代表は元相川町役場観光課長で、宵乃舞を立ち上げた中心メンバーの岩崎康一郎さんです。第1回宵乃舞が開催されたのはその3年後の平成14(2002)年のことでした。

 宵乃舞は、それ以来一度も休むことなく連続して参加しています。宵乃舞に出るときは源平軍談ではなく、古調(心中口説き節)で出演しています。

 衣裳も凝っていて、秋田県西馬音内(にしもない)の盆踊りで使われている衣装を参考にして作った着物のパッチワークのようなものです。帯には太鼓を結びます。宵乃舞の立ち上げに合わせて、富山県のおわら風の盆など、何度も通って勉強しました。

 男踊りの源平軍談は勇ましく踊りますが、心中口説き節は、我々は古調と言っていて、しなやかに、女性らしく踊ります。足の運びなど基本は相川音頭と変わりませんが、気持ちを込めて踊るので、自然と指先にその思いが現れると思っています。

 私たちは月一回稲鯨公民館で稽古をしています。相川音頭(古調)、佐渡おけさ、相川甚句のほかに七浦甚句をやります。また、七浦小学校で佐渡民謡を教えているほか、施設慰問などもやらせていただいています。関わっている七浦小学校でのコラボレーション文化祭が先日、文科省表彰を受けました。光栄に思っています。(以上 岩﨑文枝さん談)

6 ところで源平軍談は弓流しの段の一部だけが歌われるのには“わけ”があった。

 相川では毎年7月15日の夜、奉行所前の広場で盆踊りが行われ、奉行の観覧が定例となっていました。天保の改革によって、佐渡奉行の久須美六左衛門は、心中を肯定するような唄は時代を退廃させるものだとして禁止しました。その時に盆踊りの唄として選ばれたのが「源平軍談」でした。源平軍談は講談として語られたもので、内容は儒教精神に貫かれています。

 人々は源平軍談の最後の五段のそのまた一部、つまり「どっと笑うて~」から始まる八番分の歌詞だけを繰り返し繰り返し30分でも1時間でも唄って踊ったとのことです。

 この部分は義経が誤って海に取り落とした自分の弓を相手の攻撃を避けながら、拾いあげて戻る場面でした。臣下に、弓より命が大事なのに、なんとつたなき振舞いだと言われますが、義経は、弓を惜しむのはおろかなことで、不覚ものと末の世まで名を汚すのが無念至極なので取りに行ったが、それで敵に討たれて死んだとしても、運命なので悔いはないと言うのを聞いて、諸軍勢みな感歎したという歌詞です。

 田中圭一氏は著書『天領佐渡(3)』で、人々はこの義経の物語に、相川で心中する男女の二人を重ね合わせたのではないかと述べています。奉行に禁じられた心中節を唄えなくなっても、人々はこの源平軍談のこの部分を繰り返し唄い踊ることで二人に共感し、供養したということのようです。

 田中圭一氏は講演会でこの部分をこうも説明しました。「作者の中川赤水は何がいいたかったかというと心中物の主題である『女(ひと)はいくらでもいるではないか』『いやそうではない。愛しているのはお前(おれの弓)だけだ』という心情を述べようとしたのではないか」これが、島人の伝統的な知恵で、文学的な言い回しで、お上への批判を表わしたというのです。

7 江戸時代に相川の盆踊りはかなり自由な格好で踊っていた!!

 相川郷土博物館(現在改修工事中)には文政4(1821)年に塩釜神社に奉納された絵馬が展示室の壁に展示されています。奉行所の役人が藤原蘭栄という画家に描かせたもので、武士も商人も一緒になって、頭上にエビや船の作り物を載せている人もいて、盆踊りを楽しんでいる様子がいきいきと描かれています。

相川音頭絵馬の写真

↑相川音頭絵馬(佐渡市指定民俗文化財、所蔵 塩竈神社)

 佐渡奉行所の地役人蔵田茂樹は文政13(1830)年に書いた『鄙の手振』の中で当時の相川の盆踊りの様子を記しています。心中口説き節の歌詞にも触れているので、当時の盆踊りでは心中物が唄われ、踊られていたことがわかります。挿絵からは皆がめいめいの自由な装いで、頭に灯ろうのような作り物を載せ、女装や男装、老若男女入り乱れ、阿波踊りのように解放的に踊っています。

 ここで人々が覆面をしているのは、奉行の面前での御前踊りだからということではなく、お盆の意味が仏を迎えるということで、踊りながら仏と交わる意味がふくまれていると磯部欣三氏は『佐渡郷土芸能史(上)』で述べています。

挿絵左挿絵右

↑蔵田茂樹『鄙の手振』の挿絵(七月十三日)史林雑誌社 佐渡史林 第七號より

8 おわりに

 「相川音頭」は大正9(1920)年に柳田国男の訪問を受け、翌年に結成された川辺時三の「あらなみ会」や大正13年(1924)年に創設された「立浪会」などの民謡団体の熱心な活動により「佐渡おけさ」と共に全国に知られるようになりました。

 近年は観光振興で、観光客にいかに感動していただくかの観点で、進化してきた面のある相川音頭ですが、原点を辿ってみると、3百年に渡る様々な歴史上の事象にもまれて、相川音頭が変容してきたことがわかります。『相川音頭全集』には唄われ、踊られることなく埋もれている素晴らしい歌詞が眠ったまま渋い光を放っています。この本の「序」で早稲田大学の暉峻康隆教授は、相川音頭は佐渡の歴史の感情的表現だといっているとおり、これらを唄って踊ることは佐渡の歴史と文化を深く理解することにつながるのかも知れません。

 長い年月を経て完成された今の源平軍談義経弓流しの段を凛とした男踊りで踊るという形は、日本を代表する民謡としてのすばらしさを感じます。それと同時に、また塩釜神社に奉納された大絵馬や蔵田茂樹の『鄙の手振り』の挿絵に描かれた盆踊りの世界観を見ると、とても豊かで自由で、我々の未来に何らかのヒントをささやいてくれているように思えました。

 今回の取材では民謡団体等の皆様に大変お世話になりました。また佐渡市相川支所浜野浩氏には今回のテーマのきっかけとなる情報を提供頂きました。また郷土史研究家渡辺和弘氏には佐渡民謡の発展に関わったキーパーソンに関する情報と、源平軍談の歌詞の成立に関する興味深い仮説を伺いました。ご協力いただいた皆様に心より感謝申し上げます。

 

参考文献

『佐渡歴史散歩』礒部欣三 1972年 創元社
『相川音頭全集』 山本修之助 1982年 新潟日報事業者
『中公文庫 佐渡金山』礒部欣三 1992年 中央公論社
『天領佐渡(3)島の幕末』田中圭一 1992年 刀水書房
『佐渡芸能史 上』1977年 田中圭一編  1977年 中村書店
『佐渡相川郷土史事典』相川町史編纂委員会 2002年 相川町
『まちづくりあいかわ18号』「あいかわ道草話 ~相川音頭異聞~」佐渡市相川支所 2022年8月10日号
「佐渡おけさ」と「相川音頭」田中圭一講演集 ~東京佐渡三田会郷土史研究会編~平成8年11月10日講演
「遍照坊智専」田中圭一講演集 ~東京佐渡三田会郷土史研究会編~ 平成12年6月3日講演

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