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1952(昭和27)年、岩船郡村上町(現村上市)に林業試験場が創設されました。
当時は戦後の復興が軌道にのり、大量の木材需要に対処するため早成樹の造林試験や当県特有のボイ山(不良薪炭林)改善、海岸砂防などが主たる研究課題でした。
1956(昭和31)年、「もはや戦後ではない」のことばが経済白書に登場し、この頃戦中戦後の伐採跡地の造林がほぼ完了し高度成長時代へと突入し林業は拡大造林の時代に入って行きます。エネルギー革命が席巻し、大量生産・大量消費が加速度的な勢いで日常生活を満たしました。その後、物質中心主義は環境汚染、自然破壊などの問題を引き起こし、社会は環境保全重視へと移行していきます。試験研究では「雪と造林」を主たる研究目標に、適地適木調査や実験展示林の整備などが行われました。
1971(昭和46)年、林業試験場は手狭と施設の老朽化及び全国植樹祭お手まき行事の会場に決定されたのに伴い現在地の朝日村(現村上市)に移転しました。
1980(昭和55)年頃をピークとした木材価格は長期的下落傾向に転じ、林業生産活動が停滞する一方、森林浴が流行語になるなど森林の公益的機能が再評価されるようになります。県は、特に特用林産の生産対策に力をいれ、施設栽培きのこの生産量が飛躍的に増大しました。試験研究では広葉樹林施業(従来からの薪炭林施業を除く)、松くい虫被害防止技術やきのこ・山菜栽培・選抜などの課題が新しく取り上げられました。
平成の時代となり、森林は持続可能な循環資源としてクローズアップされるようになりました。当場ではエノキタケ研究の再開、マツ材線虫抵抗性品種開発がスタートし、1997(平成9)年には、林業試験場は森林研究所と改称されました。その後、高性能林業機械や木材加工、バイオマスの試験研究に着手し、さらに無花粉スギ開発や高齢林の管理手法、コンテナ苗を活用した低コスト再造林技術の実証試験などに取り組んでいます。
西暦 | 年 | 内容 |
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1952 | 昭和27 | 新潟県林業試験場創設 4月業務開始 (敷地:岩船郡村上町(現村上市二之町)、面積1.2ヘクタール) |
1954 | 昭和29 | 「林業試験場研究報告」(現「森林研究所研究報告」)創刊 |
1956 | 昭和31 | 雑誌「林業にいがた」の研究成果普及コーナー連載開始 |
1961 | 昭和36 | 実験展示林の設置(県内4カ所) 村上(1961年)、越路(1964年)、妙高(1971年)、長岡(1977年) |
1971 | 昭和46 | 岩船郡朝日村(現村上市)鵜渡路に移転 10月業務開始 (敷地面積 10.16ヘクタール) |
1972 | 昭和47 | 第23回全国植樹祭お手播き行事開催(5月22日) 植樹祭は黒川村(現胎内市)で5月21日挙行 |
1977 | 昭和52 | エノキタケ優良品種の研究開発に着手 |
1978 | 昭和53 | きのこ実験棟を整備(1993年実験棟増設、1997年実証棟整備) |
1982 | 昭和57 | スギミニチュア採種園に関する研究に着手(1989年事業用採種園造成開始) |
1989 | 平成1 | 「湿性豪雪多雪地帯におけるスギ人工林の雪害と育林技術」を発行 |
1990 | 平成2 | 松くい虫抵抗性品種の研究開発に着手 |
1997 | 平成9 | 「林業試験場」を「森林研究所」に改称 |
1999 | 平成11 | 無花粉スギ品種の研究開発に着手 |
2000 | 平成12 | 木材利用の調査研究を再開 工業技術総合研究所内に分室を設置(2003年廃止) |
2005 | 平成17 | 新潟県・黒竜江省技術協力(緑化)に参加 木質バイオマスの調査研究に着手 |
2007 | 平成19 | 「にいがた千年松(抵抗性アカマツ苗木)」が商標登録(特許庁) |
2013 | 平成25 | JICA草の根技術協力事業(新潟県モンゴル緑化推進技術協力実行委員会)に参加 コンテナ苗、広葉樹利用に関する調査研究に着手 |
2014 | 平成26 | 高齢級林分の将来予測技術、きのこの機能性に関する調査研究に着手 |
昭和27年に林業試験場は現在の村上市二之町に開設され、昭和46年に現在の村上市鵜渡路に移転しました。
林業試験場のあった場所は、その昔の村上城があった臥牛山(通称お城山)の西側のふもと、七曲がり道(登城道)の入り口付近で、城主の居館があった場所にあたります。その城主の居館跡地がほぼそのまま林業試験場敷地にあたります。そこに設置された詳しい経緯は不明ですが、新潟県内のなかで当時の岩船郡が試験場の誘致に積極的だったこともあり、敷地取得にあたっても岩船郡が協力してくれたようです。
構内の敷地としては1.2ヘクタールほどで、「四季を通じて水山紅緑の美に優れている。」との記述も見受けられますが、その反面臥牛山のため日当たりが悪く風当たりも強かったようです。また土質も臥牛山からの崩落した砕石が堆積したもので、あまり樹木の生育に適した土地とはいえないとの記述もありました。
現在では、一部は村上市のお城山児童公園として、一部は村上桜ヶ丘高校の実習地跡地となっています。いくつか林業試験場当時と思われるの建物が現在(平成27年6月時点)でも残っています。またあちらこちらに新潟県の文字の入ったコンクリート杭も残っていました。
お城山児童公園入り口付近です。林業試験場当時の正門で、門柱の銘板は変更されていますが、当時のものをそのまま使用していると思われます。
公園内にある城主居館跡を示す標柱です。