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【上越】「上越地域における新田開発のあゆみ(用水編)」 を紹介します
(3) 中江用水
板倉発電所から用水供給される中江用水路
中江用水は、高田平野の中央部の耕地約2,800ヘクタールを潤す流路総延長約24.7kmの水路です。現在の水路の起点部は、上越市板倉区吉増地内にある東北電力(株)の板倉発電所からの放流水を受けた1.2km先の熊川地内の取水場となっています。用水は、大熊川・別所川・櫛池川・飯田川を横断し、田井・稲増・松野木・富川・野田・荒屋・新保・中真砂地域の耕地に用水を供給しています。
この用水路は寛文期(1661~1673)頃の干ばつで、小河川からの取水が困難となっていたことから、地元の役人たちが自費で、妙高市新保・西条付近の関川右岸から取水し、板倉区高野地内まで開削したことが始まりです。
大熊川サイホン(右:S59土木部、左:S60農地部施工)
しかし、資金不足から高田藩に願い出て、家老小栗美作が中心となり、延長26km、川幅7.3mの水路を藩営事業として延宝2年(1674)に起工し、同4年竣工といわれています。
高田藩はこの用水の維持管理に強く関わり、別所川より上流16の村々は客水区として用水費を負担しない無出金区域を設定したほか、堤や堰などの普請費の郡中余荷の特権(毎年の普請工事をその他地域も含め全体で経費を負担させることで、明治7年まで継続)が認められていました。
また、中江用水の特徴として、長野県信濃町にある野尻湖から関川の支流池尻川の定水使用権を近世に獲得したことが上げられます。中江開発後まもなく、当時の中江用水組と池尻川の地元の旧池尻村との間で結ばれたこの水利権は、定水水利権のほか、干ばつ時には野尻湖の水を落とす貫水の権利がありました。
この定水水利権は関川の優先使用権の根拠となり、中江用水組以外が計画する多くの関川の利水計画から用水源を守る強力な武器になったといわれています。
最大8.6立法メートル/sが流下する中江用水
中江用水組は、明治34年(1901)に中江用水普通水利組合(昭和26年:中江土地改良区)として名称を改組し、用水の維持管理を行ってきましたが、開削当時の素掘りのままで水漏れもなどの課題も多く、地元では改修を熱望していました。これを受け県で調査を行い、昭和19年(1944)から県営中江用水農業水利事業として用水路約7km、石積護岸工24.6km、伏越工29カ所等を実施し、昭和27年(1952)に完了しました。この工事により、末端重川地内までの到達水量は40%増加し、取入口から末端重川までの到達時間はそれまでの12時間程度から8~9時間程度に短縮されました。
3路線に分岐する分水工(四辻町地内)
この県営事業で水量が増加しましたが、一斉に行われていた高田平野の田植え時期や夏場の渇水期には、相変わらず下流部の耕地では水不足に悩まされていました。これを受け、国営関川農業水利事業(昭和43年~昭和58年)で新たな水源となる笹ヶ峰ダムの可能性や新たな幹線用水による全体配水を計画し、笹ヶ峰ダム・子安頭首工・関川頭首工・幹線水路5路線34.1kmが完成したほか、附帯県営(昭和48年~平成1年)で用水路15路線45kmが改修されました。
しかし、これら施設は建設後30年以上が経過し、コンクリート構造物の損傷や鋼構造物の腐食などの老朽化で機能的な支障が発生してきたことから、現在国営関川用水農業水利事業(平成26年~平成3年予定)で施設の長寿命化を実施しています。