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【上越】「上越地域における新田開発のあゆみ(用水編)」 を紹介します
(1) 大瀁郷の開発
大瀁郷開発以前の概念図(上越市史通史編より引用)
高田平野の北部、現在の保倉川の北側には、江戸時代初め頃まで上流部の排水が潟町砂丘に妨げられ、稲作もできない大瀁郷といわれる大きな潟湖・低湿地が広がっていました。
高田藩主・松平光長は、領内において経済的基盤を整えるため、「全国でも有数な開発石高2万石に及ぶ広大な大瀁郷の新田開発」や「技術的に困難な延長約20kmにも及ぶ大瀁用水を引く工事」や「13kmの潟川を掘って排水し、保倉川の河道を切り替える」という3期に渡る大規模な工事が行われました。
第1期:大瀁新田開発
保倉川から取水する顕聖寺頭首工
寛永15年(1638)に小栗五郎左衛門の意見のほか、高田の豪商、宮嶋作右衛門の資金提供や上州浪人神戸三郎左衛門・茂田七右衛門らの技術指導を受けて工事に着手し、7年の月日をかけ大瀁新田開発が行われました。
その水路は浦川原区横川地内の保倉川から取水し、六日町・花ヶ崎地域を流下し、鵜ノ木地域で用水を北川、中川、南川用水路の三筋に分け、最後は三分一・福島を流下し保倉川に落としました。これにより今の百間町を中心とする40の新しい村が誕生しました。
なお、取水口であった横川堰は、享保8年(1723)に上流の顕聖寺に移されました。
第2期:中谷内新田開発
再整備が進む潟川排水路
正保3年(1646)、高田藩は上増田新田の平石彦左衛門・福崎の上原八郎右衛門に大瀁低地の北側に湛水している悪水を排除する工事を命じ、朝日池、鵜ノ池、蜘ヶ池などの潟湖の南側に沿った川幅約14m、延長約13kmの潟川が10年の月日をかけて開削されました。この開発で、宮原・森下・戸口野など36の新しい村が誕生しました。
第3期:大潟新田開発
悪水を日本海に排水する新堀川
寛文元年(1661)、平石・上原らは引き続き大潟の低地開発のため、排水路工事を実施しました。しかし、途中で大地震が発生したことから、家老の小栗美作は、潟川の排水を円滑にするために保倉川の河道を関川に切り替える工事(延長2.3km、幅18m、深さ3.6m)を行い、延宝6年(1678)に完成しました。この開発で柳町・下池田・上池田など24の新しい村が誕生しました。
これら3期40年に渡る工事で大瀁郷の新田開発は終わり、今日の美田の基盤ができました。
なお、宝暦元年(1751)の大地震で潟川が埋没し、排水ができなくなったことから、人々は大潟の悪水を渋柿浜付近で日本海へ直接排水するための新堀川(延長1.5km、幅約16m)開削を願い出ました。その5年後にようやく許可され、翌年完成しましたが、すぐに両岸が崩れ落ち、元の状態に戻ってしまいました。
排水で困っていた人々は、新堀川の再掘削を藩に願い出て天保6年(1835)に河床幅7.2mの新堀川が完成しました。
戦後の大瀁用水
大瀁幹線用水路(川袋分水工)
昭和22年(1947)から約1,700ヘクタールの耕地への用水の安定供給を目的に、県営事業で顕聖寺頭首工や大瀁用水路(9.66km)、農業用ため池となる大池(約200万立法メートル)、小池(約110万立法メートル)の増堤工事や潟川の改修工事(約1.6km)を施工し、昭和41年(1966)に完了しました。
その後、施設の老朽化が著しかったことから、昭和56年(1981)に山裾を流下する大瀁幹線用水路5kmの改修を県営で着手し、翌年から別事業で残りの大瀁幹線 用水路や大江・東部・北部・北川・南川用水路約18.6kmの改修、大池・小池への補給揚水機場の改築や各分水ゲートなどを一元管理できる水管理システムを導入し、平成6年(1994)に完了しました。
これらの整備・改修によって、頸城土地改良区管内の耕地約1,600ヘクタールへの用水の安定供給が行われているほか、施設の維持管理費軽減が図られました。
大池・小池
中間補給水源となる旧明治村の大池
上越市花ヶ崎・石神地内には、頸城土地改良区が管理する水田1,600ヘクタールを潤す大規模な農業用ため池、大池・小池があります。このため池の歴史は古く、「大池溜水利組合記念碑」に「大池・小池の起源は永享年間(1429~1440)で 」と記され、現在も貯水量約300万立法メートル(大池200万立法メートル、小池110万立法メートル)を誇り、頸城地域の大切な農業用水源となっています。
このため池は、戦後まで大池溜用水普通水利組合が管理していましたが、近隣耕地を潤す大瀁用水(普通水利組合)とこの地域の共通水源とするため、県営「大瀁村外二ヶ村」地区として、昭和22年(1947)から大池・小池の堤防改修工事など(~昭和41年)が行われました。
その後、大池・小池へポンプアップしていた補給機場が老朽化してきたことから、昭和59、60年に県営事業で大池揚水機場(φ450×2台)が改築されたほか、ため池等整備事業(昭和59年~平成9年)で取水設備や堤体補強、波除護岸、巡回道路などが整備され、現在に至っています。また、大池と小池は水門でつながっていて、二つの池の水位調整が出来るようになっています。
このため池付近は、「直峰・松之山大池県立自然公園区域」に指定され、池の周辺には遊歩道やキャンプ場、自然学習施設等が整備され、県内外から多くの利用者が訪れます。
大潟あさひ土地改良区
貯水量167万立法メートルを有する朝日池
改修が進められている舟入川
平成28年4月1日に事業推進、組織・財政・運営基盤の強化を目的として、大潟町土地改良区・旭土地改良区・朝日池土地改良区が合併し、大潟あさひ土地改良区が誕生しました。土地改良区は、潟川排水路の周辺区域とその上流の朝日池周辺の耕地981ヘクタールの農業用施設を管理しています。
この地域は、砂丘湖として形成された蜘ヶ池・天ヶ池・鵜ノ池・朝日池及び吉川地域のため池の水を利用しているほか、潟川周辺の揚水機場で各耕地に用水を供給しています。
この地域は湛水常襲地帯であったことから、昭和49年(1974)から県営湛水防除事業で潟川の排水改良が開始され、これと併せて機械の大型化に対応する用水対策・基盤整備対策も必要となり、県営かんがい排水事業(昭和51年~平成4年)や県営ほ場整備(昭和53年~平成1年)が開始されました。
用水対策では、新堀川河口から上流1kmのところに潮止水門を設置し、潟川に約10万立法メートルの用水貯留を行ったほか、3箇所の揚水機場を設置しました。また、上流の大江川・姥谷内川・潟川支線の開削や朝日池のかさ上げ、鵜ノ池への補給揚水機場の建設などが行われました。
その後、これらの施設は経年変化によって老朽化し危険な状況であることから、現在潟川・姥谷内川及び舟入川を県営ストックマネジメント事業、かんがい排水事業で改修しています。