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【上越】「上越地域における新田開発のあゆみ(用水編)」 を紹介します
(7) 参賀用水
関川を横断する参賀用水水管橋
参賀用水は現在、国営事業(昭和43年~昭和58年)で造成した関川右岸幹線用水路から附帯県営事業(昭和48年~平成1年)で実施した関川を横断する水管橋を経由して、左岸側の妙高市美守・関川町・高柳・五反田地域の耕地約30ヘクタールを潤す用水です。
この用水は「高柳用水」ともいわれ、寛文12年(1672)に高柳の舟見久右衛門、清水七左衛門が中心となって、妙高市姫川原地内に取水口と用水路が作られました。最初は旧高柳村1ヶ村でしたが、その後、旧美守村、旧二子島村が加わって三ヶ村用水となり、明治22年(1889)に3ヶ村が合併して旧参賀村となり、「参賀村用水」として改称し、明治34年(1901)に旧新井町と合併し「参賀用水」に改称し、維持管理を行ってきました。
維持管理を行ってきた参賀土地改良区は、近隣の土地改良区と合併し、関川水系土地改良区の管理区域となりました。