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【柏崎】登録有形文化財・選奨土木遺産 栃ヶ原地すべり集水井について
柏崎市高柳町栃ヶ原にある地すべり集水井3基は、令和元年に国の登録有形文化財(建造物)
に登録され、その内の1基は令和2年に土木学会の選奨土木遺産にも認定されています。
1.登録有形文化財の地すべり集水井
登録有形文化財に登録された理由として、地すべり集水井3基は建設から50年以上が
経過していること、栃ヶ原地すべり第1号集水井については全国6千基以上ある
地すべり集水井の基本となったことが挙げられます。
栃ヶ原地すべり第1号集水井
建設年代:1955(昭和30)年【わが国で初めて建設された集水井】 登録基準:造形の規範となっているもの 外径4m、深さ18mの鉄筋コンクリートで出来た筒で、人の手により 岩盤面から更に2m沈下させ、筒内部の壁面から放射状に配したパイプで 地下水を集水しています。満州井などから着想を得て開発され、日本で 初めて建設された集水井です。 |
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第1号集水井(左:全景 右:集水井の内部) |
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第1号集水井工事中の様子(写真提供:坂井俊介) |
栃ヶ原地すべり第2号集水井
建設年代:1965(年昭和40)年 登録基準:国土の歴史的景観に寄与するもの 外径4m、深さ15mの鉄筋コンクリートで出来た筒で、 今でも集水した水をポンプで揚水し周辺の田んぼに利用されており、 国土保全と農業利水2つの機能を兼ね備えた集水井です。 |
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第2号集水井 |
栃ヶ原地すべり第3号集水井
建設年代:1965(昭和40)年 登録基準:国土の歴史的景観に寄与するもの 外径4m、深さ15mの鉄筋コンクリートで出来た筒で、 第2号集水井と同時期に建設された地すべり集水井です。 第3号集水井で集水された水は地中のパイプを通って第1号集水井に 流れています。 また集水井周辺は特に手を加えず建設当時のままとなっています。 |
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第3号集水井 |
2.選奨土木遺産の地すべり集水井
選奨土木遺産に認定された理由として、栃ヶ原地すべり第1号集水井は
日本初の地すべり集水井として地域の防災に寄与・発展に貢献してきたこと、
新潟県の技術者が集水井を開発し、全国へ普及する契機となったことが挙げられます。
栃ヶ原地すべり第1号集水井
現地に設置されているプレート
(上:登録有形文化財 下:選奨土木遺産)
3.栃ヶ原地すべりの歴史
栃ヶ原では、1860(安政7)年の地震により発生した亀裂に融雪が流れ込み、
大きな地すべりが発生したと言われており、その後も地すべりは繰り返し発生し、
1951(昭和26)年に新潟県が行った調査では、1年間で1mほどの動きが確認されています。
当時、栃ヶ原の地すべりは、不規則にゆっくりと動く特徴があり、多くの家屋が移転を余儀なくされました。
そこで新潟県の技術者 湊元光春技師によって地すべり集水井が開発され、1955(昭和30)年に日本で
初めて「栃ヶ原地すべり第1号集水井」が建設されました。そして、この地すべり集水井の技術が
全国へ普及する契機となっています。
1965(昭和40年)年には、栃ヶ原地すべり第2号集水井、第3号集水井が建設され、
その後も地すべり対策工事は進められ、現在までに12基の地すべり集水井が
栃ヶ原を地すべりから防止し続けています。
1952年に作成した栃ヶ原の地図 工事に従事した人達(湊元氏は右から4番目)
4.栃ヶ原地すべり集水井の利活用と継承
パンフレットの作成
栃ヶ原地すべりの歴史や建設当時の貴重な写真などを掲載したパンフレットを作成しています。
地域と連携した取組
地域の関連施設(高柳小学校や県立こども王国など)と連携しながら、
日本初の地すべり集水井について見学会などを実施しています。
高柳小学校で地域の方を対象とした特別授業を行った様子(令和元年9月27日)
認知度向上に向けた取組
令和3年11月に栃ヶ原地すべり集水井の認知度向上、そして栃ヶ原集落の活性化に寄与することを目的に
集水井の地下水を使って、テントサウナ体験会を実施しました。
5.関係機関へのリンク (外部サイトにリンクします)
・登録有形文化財の詳しい説明については、文化庁ホームページをご覧ください。<外部リンク>
・選奨土木遺産の詳しい説明については、土木学会ホームページをご覧ください。<外部リンク>
・新潟県内の文化財の指定及び登録等については、新潟県文化行政課ホームページをご覧ください。
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