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【木崎濁川土地改良区】

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0058263 更新日:2019年3月29日更新

「木崎濁川土地改良区」を紹介します

木崎濁川土地改良区管内図
木崎濁川土地改良区管内図(この地図は国土地理院発行の5万分の1地形図を使用)

 新潟市北区の新井郷川周辺の濁川、名目所、松栄町、新潟競馬場周辺の木崎、鳥屋、福島潟放水路周辺の笠柳、内島見、浦ノ入周辺の耕地を管轄する土地改良区で、畑約120ヘクタール、水田約1,080ヘクタール、合計1,200ヘクタールの耕地の農業用用排水施設を管理しています。平成11年(1999)に「木崎郷土地改良区」と「濁川土地改良区」新設合併して設立され、現在に至っています。

豊栄北部地域を潤す1号用水路の画像
豊栄北部地域を潤す1号用水路

 木崎土地改良区、濁川土地改良区の前身は昭和27年(1952)に設立された北蒲原土地改良区で、設立前の耕地整理組合や木崎村などの水利組合が解散し、設立されました。
 この地域は新発田川や福島潟と近接する湛水低湿地帯で、過去において幾度も水害を受け、また用水では加治川・阿賀野川水系の最末端で、渇水時にはいつも水不足に悩まされていました。

用水不足で悩まされた木崎濁川地域

新井郷川に流下する須戸排水路画像
新井郷川に流下する須戸排水路

 昭和16年(1941)、国営阿賀野川沿岸農業水利事業(排水)が着手され、昭和29年(1954)には新井郷川排水機場の一部が稼働し、早通や須戸、木崎、内島見、笠柳、笹山、松潟周辺では水位が低下し、耕地整理事業が開始されました。これにより、用水需要も高まり、団体営かんがい排水事業や昭和36年(1961)から国営附帯県営かんがい排水事業豊栄北部地区が着手され、須戸排水路や早通排水路の一部が整備されたほか、用水では太田川の国営下興野頭首工(昭和37年)、豊栄北部西部幹線用水を経由した第1号用水路が新設・改修され、昭和44年(1969)に事業完了しました。

 当時の木崎郷土地改良区は、阿賀野川用水受入協議会と打ち合わせを進めていましたが、用水は、阿賀野川より加治川のほうが密接であるということから、昭和49年(1974)に阿賀野川右岸土地改良区連合を脱退しました。現在、加治川からの用水は加治川第2頭首工から附帯県営で造成した二本松第2用水路を流れ、浦ノ入地域に配水しているわずか40ヘクタールとなっています。

新発田川から取水している笠柳揚水機場の画像
新発田川から取水している笠柳揚水機場

 それ以外の区域への用水は、排水路や河川から水を汲み上げ、揚水機場により各地域へ送水しています。主な揚水機場として、新発田川から取水する笠柳揚水機場(約510ヘクタール)や内島見にある引越揚水機場、新井郷川からは須戸揚水機場や松潟揚水機場、さらには、福島潟放水路の建設により左右岸に分断された耕地へは、放水路から用水を取水する浦ノ入揚水機場や横土居揚水機場などがあります。

新井郷川に排水する須戸排水機場の画像
新井郷川に排水する須戸排水機場

 また、昭和43年(1968)以前までの白勢町、松栄町、笹山地域では、加治川から分流した派川加治川や笹山用水路で東から西へ耕地を潤していましたが、昭和44年(1969)の東港中央水路掘り込みに伴い、それら河川や水路が分断されました。その代替補償施設として、新井郷川排水機場上流の右岸側に濁川取水場を設置し、送水管(φ1200)で従前とは逆に、西から東へ圧送する用水路に生まれ変わりました。

 土地改良区では、この取水場や送水施設の操作を新潟港湾事務所から委託を受け行っていますが、建設から40年以上が経過し、施設の老朽化による漏水・故障等が発生し始め、その維持管理に苦慮している状況です。

福島潟放水路を渡るφ1200の幹線用水管の画像
福島潟放水路を渡るφ1200の幹線用水管

 また、豊栄地域には昭和27年(1952)頃から、天然ガス採取による地下水の汲み上げを起因とする農地の地盤沈下が全体で発生し、農業施設の機能が低下したことから、県営地盤沈下対策事業(1次昭和38年~昭和45年、2次昭和53年~平成6年)により、改修された用排水路が数多くあります。

戦後から始まった排水改良

 西に阿賀野川、南に新井郷川、北側に派川加治川、中央に新発田川が流れていたこの地域では、戦後に、低湿地で排水不良地を改善するため、新発田川に排水する笹山排水機場や新井郷川に排水する須戸、松潟、濁川排水機場など数多くの排水施設が建設されました。
 また、福島潟放水路の建設により用水だけで無く、排水路も分断されたことから、その右岸側地域の耕地の排水対策として、笠柳排水機場や庵女川、浦ノ入、切尾前排水機場なども建設されました。

福島潟放水路と新発田川が平面交差する画像
福島潟放水路と新発田川が平面交差する様子

 また、昭和40年(1965)以降、新潟競馬場や早通住宅団地、新潟東港などの大規模開発や新新バイパスなどの工事により、かなり多くの農地が転用されたことで、流出量も増大し、ほんの少しの雨でも頻繁に水田の湛水や住宅への浸水被害が発生するようになりました。この湛水被害を防止するため、昭和54年(1979)から平成4年(1992)にかけて、県営湛水防除事業豊栄北部地区、南浜地区として須戸排水機場、南浜排水機場、幹線排水路などを改修しました。

派川加治川から新井郷川排水機場上流まで導水する加治川承水路の画像
派川加治川から新井郷川排水機場上流まで導水する加治川承水路

 なお、派川加治川の流末は、松浜地内の南浜排水機場脇の新井郷川と接続していますが、通常時は、新井郷川(排水機場の下流1km)の水位が高く自然流下できないことから、加治川承水路によって新井郷川排水機場上流部まで導水し、新井郷川排水機場のポンプにより排水をしています。

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