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【長岡】北越戊辰戦争ゆかりの地を紹介します(1 「雪峠の碑」、「慈眼寺」、「東忠」)

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0053406 更新日:2024年8月19日更新

 1868年(慶応4年)、京都近郊の鳥羽伏見で同盟軍(東軍)と新政府軍(西軍)が衝突し、戊辰戦争の火蓋が切られました。京での戦いに勝利を収め、江戸城を無血開場させた新政府軍は、反抗勢力を制圧しようと各地へ軍隊を送りました。戦火が関東、東北、北海道へ広がる中で、現在の新潟県においても「北越戊辰戦争」と呼ばれる激しい戦いがありました。
 特に軍事総督、河井継之助率いる長岡藩は、同盟軍としておよそ3か月にもわたる熾烈な攻防戦により新政府軍を脅かし、その戦いぶりは後世にまで語り継がれています。
 北越戊辰戦争ゆかりの地は、司馬遼太郎氏が河井継之助を主人公に執筆した小説『峠』にも描かれ、多くの歴史ファンを魅了しています。
 長岡地域振興局管内を中心に、北越戊辰戦争の舞台となった場所を御紹介します。

雪峠の碑(小千谷市)

 1868年(慶応4年)旧暦の閏4月26日(新暦6月16日)、十日町市との境、小千谷市真人町付近の雪峠において、会津藩を中心とした同盟軍と新政府軍が激突し、北越戊辰戦争の火の手が上がりました。
 新政府軍の兵力は約1,500人、対する同盟軍の兵力は約200人。地の利を得て当初は同盟軍が優位でしたが、雪峠を迂回した新政府軍の別動隊に側面から砲撃されて総崩れとなり、退却を余儀なくされました。
 翌4月27日、新政府軍は小千谷の町中へと進軍しました。
 1995年(平成7年)に、小千谷市民有志による記念碑が池ヶ原の県道脇に立てられ、激戦を今に伝えています。
(参考文献:新潟日報社「戊辰戦争140年中越の記憶」取材班 『戊辰戦争140年中越の記憶』 新潟日報事業社 平成21年7月)

「雪峠の碑」
所在地:小千谷市池ヶ原の南
交通 :小千谷駅前からバス20分、南中学校入口下車で徒歩10分

「雪峠 明治戊辰緒戦激闘の地」碑の写真です
「雪峠 明治戊辰緒戦激闘の地」碑

慈眼寺(小千谷市)

 1868年(慶応4年)旧暦5月2日(新暦6月21日)、梅雨の降る中、小千谷市船岡山のふもとにある真言宗の古刹、慈眼寺において、世にいう「小千谷談判」が始まりました。
 長岡藩軍事総督 河井継之助は、かねてより封建社会の古びた秩序を一掃し、人心の刷新を図り、他力に頼らず己の力で生きていく「武装中立国家」の実現を目指していました。継之助は新政府軍に対し非戦思想を訴え、和睦に向け同盟軍説得のための猶予を願い出ることを目的に、裃姿で談判に臨みました。
 一方、対面した相手は、予測された北陸道参謀の山県狂介(有朋)でも黒田了介(清隆)でもなく、数え年で24歳の軍監 岩村精一郎でした。傍らには長州藩白井小助ら3人が列座していました。
 継之助は岩村に対し、藩主牧野忠訓公の名による嘆願書を手に「会津征伐というならば仲介をいたしましょう。従って、多少のときが欲しい」と訴えました。これに対し岩村は、長岡藩の時間稼ぎとして取り合わず、「ご再考を、ご猶予を」と取りすがる継之助を振り払ってその場を立ち去り、談判は30分ほどで決裂しました。
 岩村が、いかに重要な人物との歴史的な交渉の場であったかと知るのは後年になってからでした。このとき継之助との対面を果たせなかった山県有朋は、回顧録『越の山風』の中で、「ひそかに白井等の不用意を遺憾とす」とその結末を悔やみました。
 この慈眼寺での談判決裂を機に長岡藩は新政府軍との戦いに臨むことになり、幕末維新動乱の中で最も辛酸な戦いと言われた北越戊辰戦争が、越後の地を巻き込んでいくことになりました。
(参考文献:稲川明雄 『風と雲の武士』 恒文社 平成22年12月
 稲川明雄 『決定版 河井継之助』 東洋経済新報社 平成24年8月
 長岡市観光企画課 『戊辰・河井継之助ゆかりの地ガイドブック』)

「慈眼寺」
所在地:小千谷市平成2-3-35
交通 :小千谷駅前からバス6分、本町西下車で徒歩7分

慈眼寺の写真です
歴史的な小千谷談判が行われた慈眼寺「会見の間」

慈眼寺の写真です
左側が長岡藩軍事総督 河井継之助、右側が新政府軍軍監 岩村精一郎

料亭 東忠(小千谷市)

 小千谷談判に破れ、慈眼寺を後にした河井継之助は、随行した軍目付の二見虎三郎とともに近くの料亭「東忠」に向かいました。そこで遅い昼食とともに、酒を飲みました。失敗に終わった交渉を思いながら飲む酒は、どんな味がしたでしょうか。
 料亭「東忠」は、今も当時の建物が現存しており、国の登録有形文化財に指定されています。

「料亭 東忠」
所在地:小千谷市元町11-11
交通 :小千谷駅前からバス4分、本町中央下車で徒歩5分

東忠外観です
「料亭 東忠」

継之助が昼食を取った部屋です
継之助が昼食を取った「梅の間」

 

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