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朝晩の冷え込みが一段と進み、紅葉が見頃の季節となりました。奥山、里山、庭園・公園など情緒あふれる紅葉スポットの「最旬」情報をお届けします。
第2回は、往時に思いをはせながら紅葉を楽しむことができる新発田市赤谷を紹介します。
蒸気機関車が走った古い鉄橋と新しい県道の橋が並んで加治川に架かる
ローマ遺跡を彷彿とさせる洞門
国道7号(新新バイパス)新発田ICを降り、市街地を抜けて赤谷を目指します。
上赤谷の三叉路を左へ曲がり、紅葉を満喫しながらしばらく車を進めると、まるでローマ遺跡の回廊のような洞門(どうもん、スノーシェッド)が連続して現れます。この洞門と県道※は、日鉄鉱業赤谷鉱山【参考】から鉄鉱石を運搬するために敷設した専用鉄道の廃線跡になります。専用鉄道では、蒸気機関車が鉄鉱石を積んだ貨車を引いていました。洞門の天井の黒いシミは蒸気機関車が吐き出した煙のすすかもしれません。
なお、この洞門を通った蒸気機関車1070形1080号機は現存しており、京都鉄道博物館扇形車庫で展示されています。
※例年11月下旬から積雪のため冬期通行止めとなります。
専用鉄道は後に電化され、全線にスノーシェッドとトンネルが設けられた
(昭和52年頃の撮影と思われる:新発田市歴史図書館所蔵)
【参考】
赤谷鉱山は、官営八幡製鉄所に鉄鉱石を供給すべく明治32年開発に着手されました。産出の鉄鉱石は低品位であったことから需要との関係で、開発と中断が繰り返されましたが、ようやく昭和16年に操業開始となり、同年に鉄鉱石を運搬する専用鉄道も開通しました。
鉄鉱石の産出は、太平洋戦争中に年間10万トンを誇った年もありましたが、昭和30年代前半には5万トン台で、九州の八幡製鉄所には新潟港から海上輸送、京浜地区に製鉄所を有する日本鋼管には貨車輸送で供給していました。
蒸気機関車1070形1080号機は、明治34年製造(イギリス製)で国鉄に納入され、東海道本線にて急行列車をけん引していました。その後昭和15年、日鉄鉱業に払下げとなり、赤谷で活躍することとなりました。
時を経て風景に調和した赤い鉄橋
洞門を抜け、しばらく行くと左手に赤さびた鉄橋が現れます。日鉄鉱業専用線の袖の沢鉄橋です。青い空、紅葉、加治川の水面、自然と人造物の赤さびた橋のハーモニーがなんとも言えず、郷愁を感じさせます。瞼を閉じて耳を澄ませば、蒸気機関車1070形1080号の汽笛が聞こえてくるようです。
往年の鉄橋(絵葉書:新発田市立歴史図書館所蔵)、赤谷鉄山を望むとある
【資料提供等】
新発田市立歴史図書館 https://www.histlib-shibata.jp/<外部リンク>
京都鉄道博物館 https://www.kyotorailwaymuseum.jp<外部リンク>
【参考文献】
「四十年史」日鉄鉱業株式会社
「新潟県の廃線鉄道」株式会社郷土出版社
ダムから下流をのぞむ
さらに車を走らせると、加治川治水ダムに到着です。ダム周辺は360度紅葉、息をのむような美しさが広がります。
ダム堤頂部の通路を歩いてみましょう。右岸に焼峰山、左岸下流には俎倉山(まないたくらやま)、そしてダム奥に稜線を見せる蒜場山(ひるばやま)が紅葉の美しさを競っているかのようです。
遠くに飯豊(いいで)連峰を望む
そして、加治川ダム公園看板付近からは飯豊(いいで)連峰を望むことができます。雪をまとった飯豊連峰をバックに、周囲を彩る紅葉と青空との素晴らしいコントラストは息をのむような絶景ですね。